広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.57
【蔦屋書店・丑番のオススメ 『少年の名はジルベール』竹宮惠子・小学館】
今年画業50周年を迎えるマンガ家の竹宮惠子先生。本書は竹宮先生が18歳で大学に入学してから、代表作、『風と木の詩』を発表するまでを描いた自伝的エッセイだ。
竹宮惠子先生が大学に入学した年は1968年。世界的な革命の時代である。もともと竹宮先生は、高校在学中からプロのマンガ家としてデビューしていたのだが、1年間マンガを休業し、学生運動の現場に身を寄せていた。
多くの人々と議論し、集会にも参加した。学内を占拠するようなグループとも接触し、考えた結果、私なりの答えにたどり着く。
「私の革命はマンガでする」
かっこいい。
竹宮先生は大学を辞めて、マンガ家になると決めたのだ。
そして、上京し、あの萩尾望都先生と同居することになる。マンガ界で、トキワ荘と並び称される「大泉サロン」の誕生である。マンガ家志望のファンや新進気鋭の新人マンガ家が集まる新しい表現を生み出す場となっていった。萩尾先生のことをモーさま、竹宮先生のことをケーコたんと互いによびあい、刺激をうけて、作品に反映させる関係。
同居直後に、竹宮先生は代表作となる『風と木の詩』の冒頭50ページをクロッキーノートに下書きのような形で書いた。少年愛をテーマにし、少年同士の性行為を含めて、描写したその作品を編集者たちにみせてまわった。しかし、編集者たちは作品の価値が理解できないと、掲載拒否の返答を連ねられる。
萩尾先生との関係性もかわってくる。1972年、萩尾先生は代表作「ポーの一族」の連載を開始していた。萩尾先生への感嘆と賞賛、そして恐れが率直に吐露される。
目に見えない心の動きを絵にしてしまう繊細さと優しさ。自分に描けようが描けまいが、私にもそういう表現が必要なんだ。
圧倒された。
この表現、誰もやっていないよね、と私は思った。
私の表現はもう彼女のように新しくない……。あれほど反発していた古い型に、自分も陥ろうとしている……
萩尾先生の新しさを誰よりもわかってしまう竹宮先生だからこそ、自分の古さ、遅れを認識してしまう。そして、竹宮先生はスランプからくる、体調不良に陥る。
自分ができないからといって、耳をふさぐ気持ちにだけはなるまいと思うようにしていたが、突きつけられる精神的なきつさは日々大きくなっていく。事実は事実なんだから仕方がない。
自分の能力不足は、自分で静かに受け止めるしかない。もうこの環境で覚悟してやっていくしかない、とそう心では思うのだが、体調は悪くなっていく一方だった。
そのスランプからどのように立ち直り、『風と木の詩』の連載をつかむことをできたのかは、ぜひ本書を読んで確かめてほしい。表現することの本質が描かれているように思う。そして、スランプを経て、それを乗り越えたからこそ、『風と木の詩』はいまのような作品になったのだと思う。
本書は竹宮先生や萩尾先生のファンは絶対に読むべき本であるが、少女マンガの門外漢のような人にも読んでほしい。ひとりのアーティストが自分の表現をみつけるまでの、普遍的な物語であること。そして、自伝的エッセイではあるが、物語としての構築度・完成度が高く、読後、一本の映画を見終わったような充足を感じるからだ。
歌人・劇作家の寺山修司は『風と木の詩』を激賞し、以下の言葉を寄せている。
これからのコミックはたぶん、『風と木の詩』以前・以降という呼び方で、変わってゆくことだろう。
革命は成功したのだ。