広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.49
【蔦屋書店・西林のオススメ 『日日是好日』森下典子・新潮文庫】
映画を観るのが好きだ。
週に一度は映画館に足を運べたらと願う。
まだあまり人のいない、初回の、いつものお気に入りの席で、コーヒーを片手に映画を観ることができたら…
休日のほとんどが完成したような気になる。
でもその日は違っていた。話題の映画が公開して間もないメンズデー。後から後から溢れてくる人の波。お気に入りの席もすでに埋まっていた。
とりあえず、何とか席をキープし、座りこんでホッと一息つく。周りを見渡すと、メンズデーにも関わらず、女性がほとんどだった。皆の気持ちがわかる。私もこの映画を観るなら八丁座がいい。
主演の樹木希林さんが永眠されて間もなく公開された映画、「日日是好日」。
その原作である、『日日是好日 お茶が教えてくれた15のしあわせ』は筆者、森下典子さんの自伝的小説である。
お茶を始めた20歳から、40代の頃のことまでが綴られているが、お茶室での出来事が中心で、筆者の恋愛や家族のことは補足的にしか描かれてはいないのが印象的だ。
だがこの本、お茶だけの本ではない。
典子さんにお茶を教えてくれる先生が「武田のおばさん」こと武田先生。映画では、樹木希林さんが演じている。
お稽古を始めたばかりの章を読むと、まだ右も左もわからない典子さんのお作法を、黒木華さんがコミカルに演じ、また絶妙な間合いで樹木希林さんが待ったをかける、映画のやりとりが脳裏に浮かぶ。
決められたお茶の作法に反発や疑問を感じる典子さんに、先生が放った一言。
「お茶ってそういうものなの。」
季節や気候に合わせたお点前の手順の変化を何年も、何十年も繰り返しながら、お茶を通じて、典子さんの心に何度も発見や感動が訪れる。
秋の雨音が梅雨のそれとは違って聞こえた。空気の匂いが、幼い頃の思い出を連れてきた。季節の花々が咲く順番が自然とわかるようになった。
季節を五感を使って味わうようになり、自らの成長を折々で実感する。
それを典子さんはこう表現する。
自分でも気づかないうちに、一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。
コップがいっぱいになるまではなんの変化もおこらない。
やがていっぱいになり、ある時均衡をやぶる一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちるのだと。
余分なものを削ぎ落とし、「自分では見えない自分の成長」を実感させてくれるのが、「お茶」であると。
コップの水が溢れる瞬間を何度も体験した、典子さんの側にはいつもお茶があった悲しい時つらい時、自らの知らないところで心の支えとなっていた。
では、お茶を習っていない人は成長を実感できないのかといえば、そうではなく、人それぞれに「お茶」に代わるものがあるのだと思う。
私にとっての「お茶」といえるものは何だろうか。
大学を卒業し、会社勤めを始めたが、コンクリートの建物の中、伝票と端末をにらめっこの日々。朝は早く、夜は遅かったので、その日天気が良いのかどうかもわからなかった。
結婚し、家庭に入って子どもが生まれ、慌ただしい毎日だったが、子どもと一緒に季節の行事を追いかけた。
公園に遊びに行ったときには、草花を摘んで遊び、夏はセミ取り、秋はドングリを拾った。空を見上げて、季節で変わる雲を指差し、星を眺めては、その形を線でつないだ。雨の日は、長靴を履いて外に出て、水たまりに落ちる雨粒の音を聞いた。子どもと一緒にいることで、季節を感じる五感をまた取り戻したように思う。
また小学生の頃から、学級委員などの前に出る役割が苦手だった私が、そういった類いの、大人になっても尚つきまとう役割を、母親となってからは、進んで引き受けることができるようになっていった。
子どもと一緒にいることこそ、私にとって成長や発見を感じることができることかもしれない。ただ、これはもう折り返し地点にまで来ている。深いけど、期限があるのがお茶と違うところか。また、私だけの「何か」を見つけていく時期にさしかかっていると思う。
タイトルの「日日是好日」だが、典子さんがお茶を通じて、その意味を自分なりに紐解いていく。私もその文章を読みながら、典子さんとともに深い感動を覚えた。
雨の日は、雨を聴く。雪の日は雪を見る。夏には暑さを、冬には身の切れるような寒さを。
どんな日もその日を思う存分味わう。そうすると、どんな日だっていい日になる。毎日がいい日に。
あぁ雨だ、いやだなーと言いそうになったら、この言葉を思い出そう。雨が傘をはじく音を聞きながら歩こう。雪の日だって、夏の暑い日だって同じように楽しめるはずだから。
樹木希林さんの茶目っ気たっぷりのあの声が、私の頭の中によみがえる。
「日日是好日」
毎日を、味わいながら生きよう。
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