広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.22
【蔦屋書店・神﨑のオススメ 『私はすでに死んでいるーゆがんだ<自己>を生みだす脳』アニル・アナンサスワーミー著 藤井留美訳/紀伊國屋書店】
「死にたい」ではなく「死んでいる」と主張する病気などあるはずがないと思っていた。この本を読むまでは。
ある男性は自殺未遂後に「私の精神は生きているが、脳は死んでいる」と主張しだした。彼の病名はコタール症候群。ほかにも身体の一部や臓器がないとか、腐敗しているという思い込み、自分は存在していないなど、うつ病の極限状態のような妄想が特徴の病気だ。自殺未遂や重い罪悪感など、いつもと違う経験をきっかけに脳内の一部の活動が低下し、「これが自分」という自己感覚と環境を判断・理解する機能が変化してしまったことによるらしい。ただこの病気は一過性で、治ると何事もなかったかのように元に戻るという。
「この足は自分の足ではない。切ってしまいたい」と感じる男性がいる。身体完全同一性障害の患者だ。脳内には身体の地図があるとされる。この障害は身体が発達しているのに脳内の地図の一部が未発達なために起こるという。
男性にとってこの異質と感じる足がある限り、人生は苦痛でしかない。違法な手段を使っても足を切断することを切望し、実際に切断する。片足を失った男性に訪れたのは「ようやく本当の自分に戻れた」という幸福感だった。足を切断したことで脳内の身体地図と身体がようやく適合したのだろう。
二つの症例を紹介したが、本書は医学書ではない。帯には「奇妙で曖昧な<自己>の謎」「あっけなく崩壊する自己とは何なのか」とある。自己の問題を扱っているが、哲学書でもない。サブタイトルにーゆがんだ<自己>を生みだす脳ーとあるように、神経科学の視点から<自己>の存在に迫る理工系に分類される一冊である。
紹介した上記二つの他に、認知症や統合失調症など、合わせて八つの病気・障害について、その症状における自己の様子が脳の反応や活動によって分析される。昔から人が問い続けてきた、「「私」とは何なのか、一体誰なのか。この身体のどこに存在しているのか」という疑問へのヒントが見つかるかもしれない。
自己には、他者に対するときと自分自身に対するときで別の顔を持つように、いくつかの側面があるという。これら側面のバランスが崩れたときに、自己は揺らいでくる。
読んでいくうちに、自己とはこんなにも脆く、弱いものなのかと感じる。
本書では自己を構成する重要な要素として「ナラティブ」を挙げている。
「ナラティブ」とは、自分がどういう人間かを他者や自分自身に語るストーリーである。そして記憶の積み重ねである自分自身のストーリー「ナラティブ・セルフ」が、「私」という自己をつくるのだと。
つまり「私」とは、私自身が記憶によって積み重ねてきたストーリーなのだ。
ではどこに存在するのかという疑問はどうだろう。ストーリーを記憶する脳だろうか。しかし、脳だけでは表現はできない。ストーリーを表現する身体だろうか。しかし司令塔である脳がなければ身体は機能しない。つまり、ストーリーを記憶し体現する脳と身体、私自身が自己そのものなのだ。
よく「人間は弱い生き物だ」と言われる。本書を読んで、自己の脆さも知った。それでも自分のストーリーを紡ぎながら、せっせと「私」という自己を育てていこうと決めた。
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