広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.55
【蔦屋書店・犬丸のオススメ 『時間認識という錯覚 時間の矢の起源を求めて』首藤至道・幻冬舎】
今日もわたしの一日は、目まぐるしい。日々益々、加速していく。「光陰矢の如し」とは、このことだ。
弓から放たれた矢のように、月日、すなわち時間はとても早く過ぎ去る。
「矢のように」なのだ。数秒前に放たれた矢は、空気抵抗にも負けず空中を飛び、数秒後には的を貫いている。わたしたちの脳は、矢の動きを目で追い時間の経過を認識する。もしくは時間の流れを、矢の動きによって認識する。
時間については、今なお悩まされる。
以前読んだ本で、わたしたちが存在しているこの宇宙では、ありとあらゆる物質の運動や量子場の振動が時間を生み出していることを知った。(vol.16『時間とはなんだろう』松浦壮 著)
物理的にはそうだ。でもこれって、とても不思議だ。この「時間」と「動き」をどうやって脳は認識しているのだろう。
それを知りたくて手に取ったのが、本書『時間認識という錯覚』だ。
数式などなく、全体を通してわかりやすい文章で書かれていて、「ふむふむ。」とか言いながら楽しく読める。
そして、本書を読み終えると、今まで見ていたあたりまえで、ごく普通に思っている「時間」と「動き」への感じ方が、一変するのだ。
プロローグに、自分の目の前を流れる時間や、様々な光や音、心の中の言葉一つ一つを静かに観察したくなると書いてあったが、まさにその通りになったのだ。
哲学者ゼノンが語ったとされる逆説のひとつ、飛ぶ矢のパラドックスが本書で紹介されている。
飛んでいる矢はある瞬間を捉えれば止まっている。瞬間には幅がないのだから、飛ぶ矢は速度0の状態にある。時間の流れが瞬間を積み重ねたものであるなら、止まっているもの、つまりゼロをいくら積み重ねてもゼロであり、飛ぶ矢は実は止まっている。
この逆説は、間違っているのだが、この逆説の中の「時間の流れが瞬間の積み重ね」であるということが、時間認識のヒントとなるのだ。
わたしたちの脳は、現在という幅のない瞬間の映像をひたすらシャッターを切るように捉えて記憶する。シャッターを切ったこともわからないような速度だ。記憶しながらも次のシャッターを切る。そして、記憶。さらにシャッター、記憶。その記憶の残像の上に次々と新しい映像を重ねていく。そして、少し前の残像は薄れ消えていく。
ああ。わたしたちの脳が認識する時間とは、なんと美しく切ないのだろう。
この四次元時空に存在するわたしたちは、その幅のない瞬間、「今」という特異点にしか生きられない。いくら未来を思い描いても存在するのは「今」なのだ。常に、「今」という特異点に立ち、過去の残像を積み重ねているのだ。
「動き」を見る。まず、手をゆっくり閉じ開いていく。ほら、あなたは、「今」に立ち過去の残像を重ねながら時間の経過を認識する。それは、昔のアニメーションのようなコマ送りの映像ではない。滑らかな「動き」だ。脳内では、ニューロン群の活動がとめどなく続く。
周りの人が歩いている。あなたは立ち止まっているが、常に「今」という時間の流れの上に立っている。そして、シャッターを切り続ける。
「音」もそうだ。「今」記憶した音が過去と合成され、言葉やメロディーとなり脳内に響く。
そして、わたしたちは、「時間の観測者」だ。観測される対象は観測者なしでは存在しない。わたしたちが存在し「時間」を観測することによって「時間」は存在するのだ。
日々、時間と戦い時間を手に入れたいわたしは、物理的な時間を思うと愛しくなり、脳が認識している時間を思うと、たまらなく切なくなる。
理系書は、とてもロマンチックな読み物でもあるのだ。
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