広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.56
【蔦屋書店・江藤のオススメ 『名もなき王国』倉数茂・ポプラ社】
いきなりで申し訳ないのですが、実は、この本の感想は詳しく説明することができないのです。
この物語には大きな企みが忍ばせてある。
なぜ人は、物語を生み出すのか。
語らずにはいられないのか。
まず、この本はどういう構造になっているかを説明したい。
主要な登場人物は三人。
この本の著者である「私」。私の友人で三十代の若き作家である「澤田瞬」。そして彼の伯母であり、数十年前に世を去った、伝説の老小説家「沢渡晶」である。
この三人には大きな共通点がある。
それは、誰もが物語に取り憑かれている。ということ。
この本の中では、忘れられた伝説の作家、沢渡晶の未発表作品を含む数作品が収録されている。四つの掌編小説と一つの中編小説だ。
それら作品がこのようにして世に出る事になったのは、未発表原稿の束を発見した澤田瞬の功績によるところが大きい。
その澤田瞬も作家である。彼の短編小説もこの本に収録されている。「かつてアルカディアに」という作品だ。基本的にはSF小説の体をもって書かれたこの小説は不思議な読後感をもたらすだろう。
突然に昏睡状態になって眠り続ける人々、さらにその人々は全く肉体が衰えていかない。そんな隔離された町の様子が描かれる。世界の終わりを感じさせる小説である。
この本の冒頭を飾る短編は「王国」といって、この本の著者と澤田瞬との出会いが語られる。著者は若手作家の集まる会でたまたま澤田瞬と知り合い、物語について語り合う。そこで、実は彼の伯母が沢渡晶であるということがわかり、二人は交流を深めていく。
物語について語り合う二人、そんな話の中で、澤田瞬は元妻との間に起こったすこし奇妙な話を披露する。それが、この本に収録されている「ひかりの舟」だ。
「ひかりの舟」の中では、自然流産で子どもを亡くした彼の元妻が、社会的子育てを謳うNPO法人を取材するうちに、そのNPOに取り込まれていく、現実離れした不思議な話だ。
この本に収録されているそれぞれの物語は、作者も違うので、作風も違い、テーマも違う。
様々な短編、掌編を読むことになる。
それらを経て、この本の最後に位置する中編「幻の庭」に読者は出会う。
「幻の庭」では大学院で文学の研究をしていた著者が、大学をクビになり、ある風俗店のドライバーとして働く。そこで、風俗店で働く女性を取材していた彼の妻との出会いが語られる。
更に場面は変わり、著者と瞬は物語について対話する。
そして、唐突に著者が物語る中年の探偵の話が始まる。
この探偵小説、抜群に面白いのだけれど、物語のそこここで、不思議な既視感を感じる。なんだろう、知っている気がする。この感覚はいったいなんだ。
そして世界は姿を変える。
この本を最後まで読んだ私達は、物語を語るとはなんなのか。なぜこの物語は語られたのか。物語の奥深さ、罪深さ。語ることの甘美と毒。語り、騙る、世界の危うさ、
それを思い知るだろう。
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