広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.45
【蔦屋書店・丑番のオススメ 『追悼の達人』嵐山光三郎・新潮社】
樹木希林さんが先日お亡くなりになった。いろいろな方が死を悼む中、葬儀で代読された是枝裕和監督の弔辞は胸を打つものだった。11年にわたる交友は、演出家と女優という緊張感を持ちつつも、母と息子のような関係であったと語られていた。そこには、希林さんへの尊敬と感謝の気持ち、抑えきれない哀しみがこめられていた。そして、わたしには、弔辞自体が、まるでひとつの作品のようにも感じられた。そんなことを考えたのは、一冊の本のことが頭にあったからかもしれない。
その本とは、今回紹介する『追悼の達人』である。文士が文士を追悼するとき、その追悼は作品となる。本書は、明治から昭和にわたって、作家がどのように追悼されたのかを膨大な資料を渉猟し、活写したものである。著者は下記のように書いている。
小説家にとっては、生涯もまた作品である。死によって作品が完結したことになり、残されたものはさまざまな角度から追悼をした。
小説家への追悼は文芸である。文の達人が全霊をかけて書きあげた作品である。
全霊をかけて書くのだから、ほめるばかりではない。たとえば大文豪、夏目漱石でさえも、批判の追悼が書かれている。文士にとって死者を批判することは冒涜ではない。おためごかしの追悼をすることこそが死者への冒涜なのだ。その批判は、ときに徹底的なものにもなる。永井荷風への石川淳による追悼はその例だ。
荷風は昭和34年にひとり自宅で吐血死しているのが発見された。散らかった部屋の中で倒れている写真が新聞や雑誌に掲載されスキャンダルになった。「文化勲章を受章し、多彩な女性遍歴があり、人間嫌いで、二千万以上の預金通帳を持った老大家の孤独な死は、それだけで世間の好奇の目にさらされるのに十分であった。」石川淳は荷風を以下のように追悼する。
荷風文学は死滅した
ただ愚なるものを見るのみである。
芸術的な意味はなにもない。
徹底的な痛罵である。しかし、死して、なお、このように批判される荷風の凄みも感じる。そして、この石川淳の追悼に対して、大江健三郎の追悼が感動的である。大江健三郎はこのとき、24歳の若さ。『飼育』で芥川賞を受賞した翌年である。
明治以降多くの文学者が死にましたが、永井荷風ほど厖大な数の忌まわしい蠅にその死をけがされた文学者はなかったと思われます。
作家は孤独になるべきです。とくに若い作家はそのようにしなければならない。
荷風への追悼でありながら、自らのマニフェストでもあり、年長の文学者たちをのりこえようとする同年代の作家たちへの呼びかけでもある。追悼とは死者のためでもあり、生者のためでもあるのだ。
本書には、49名の文士たちの追悼が集められている。漱石、鴎外、芥川、太宰、谷崎などのいまも読みつがれる作家から、そうでない作家まで。追悼という側面からみた文壇史になっている。本書を読むことで、それぞれの作家の著作にもふれたくなる。明治・大正・昭和の文学ガイドにもなっているのだ。また、著者の嵐山光三郎さんには、『文壇悪食』、『文壇暴食』という食という側面から文壇史を眺めた著作もあり、そちらもおすすめである。
【Vol.43 蔦屋書店・犬丸のオススメ 『はじめての沖縄』】
【Vol.40 蔦屋書店・丑番のオススメ 『ナンシー関の耳大全77 ザ・ベスト・オブ「小耳にはさもう」』】