広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.37
本書はアナキズムについて書かれた本です。アナキズム、無政府主義。政府なんて、権力なんていらない、という思想のことですね。そんな暴力的なことは、わたしには関係ないと思われた方もいると思うのですが、もうすこし、お付き合いください。
本書の魅力はいくつかあるのですが、最大の魅力、それは栗原康さんの文章です。文体にこそ思想が宿るといったのは誰だったでしょう。平岡正明と町田康と田中小実昌と深沢七郎があわさったような、かけあわされたような文体から、ヒップホップでいうところのパンチラインが続出します。冒頭の文章を引用します。
ところで、サルの伝説をご存じだろうか。サルはいちどオナニーをおぼえたら、狂ったようにマスをかきはじめ、餓死するまでやりつづけてしまうという、あれである。すごすぎだ。もちろん、これはあくまで伝説であって事実ではない。サルだってオナニーくらいはするが、べつに死にやしないんだ。じゃあ、なんでそんなことがいわれているのかというと、これはわたしたち人間の側の中一病とでもいえばいいのだろうか。おぼえたてのオナニーにふけり、一日に五回も10回も、血ヘドをはいても、力つきて死にそうになっても、ウラァッとなんどもなんどもくりかえしてしまう。その熱狂する身体をサルにみたてているのだ。
アナキズムについての本なのにサルのオナニーの話から始まります。熱狂する中一のサルは、明日の学校のことも気にせず、むだに体力を浪費します。それは人間でありながら、もはやサルとしかいいようのないものだといいます。大半の人間は明日のことを考え、ほどほどにして、いまを犠牲にして生きています。
でも、中一のサルたちはちがう。明日なんてどうなってもいい。いま、いま、いま。やるならいましかねえ、いつだっていましかねえ。いちど時間のながれをたちきって、ムダに体力をつかいはたし、かんぜんに燃えつきるまでやってしまう。そうだ、死ぬまでやってしまえ。死んでもやってしまえ。死んでからが勝負なんだァと。
本当にすばらしい。いつまでも引用を続けたくなる、音楽的な文章です。
そして、以下のパンチラインが繰り出されます。
革命とはサルがオナニーするのと同じことだ。
たえず、逆むきの時間を生きろ。
いやー、かっこいいです。やられます。扇動されます。
これ、まだ冒頭6ページまでの紹介で、この調子でずーっと文章を紹介したくなる誘惑にかられますが、これくらいにしておきます。
本書は、「何ものにも縛られない生き方」は可能なのかを問うています。だれかと交換可能なものでなく、有用性や生産性ではかられるのではなく、ひとりの個人として、「ただ生きること」は可能なのか、ということです。
アナキズムは民主主義をも否定するものです。アナキズムを肯定はできなくても、いまの社会を考えるひとつの補助線として、アナキズムを知ることは価値のあることだと思うのです。それを、栗原さんのすばらしい文章で読めることは読書人として、とても、とても幸福なことだと思うのです。