広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.344『万人のための哲学入門』佐々木 中/草思社
蔦屋書店・江藤のオススメ『万人のための哲学入門』佐々木 中/草思社
まずもって、この本は薄い。
であるから、私もこの本の紹介をするには、短い文章で書くべきであるような気がしている。多くの言葉を費やせばそれだけ伝わる情報が多くなると思ったら、それは違うのではないか、そんなことをこの本から受け取ったからである。
であるから、私もこの本の紹介をするには、短い文章で書くべきであるような気がしている。多くの言葉を費やせばそれだけ伝わる情報が多くなると思ったら、それは違うのではないか、そんなことをこの本から受け取ったからである。
哲学者、佐々木 中の久しぶりの著書である。
その最初の著書『夜戦と永遠──フーコー・ラカン・ルジャンドル』はとにかく分厚かった。そして難解だった。私も少しずつ、かなりの時間をかけて読み終わったのだが、読んでいる間の興奮はあったのだが、読み終わると何が書かれていたのかよくわからなかったという、なんとも情けないことになっていた。
『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』を読んだときには、さらに興奮が増した。これは、おそらく野戦と永遠で語られていたことをもう一度、敷居を低くして、それでもコアなところは残しつつ、語りなおしてくれているのではないかと思った。あくまで私の理解であるが、とにかく『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』は凄まじい衝撃を与えられた本だった。
私が理解できている範囲ですら感動的で、何度か読み直したのだが、そのたびに涙しそうになる本であった。この本には、本のすごさと、それを売る書店員に元気をくれる言葉が書かれていた。
その最初の著書『夜戦と永遠──フーコー・ラカン・ルジャンドル』はとにかく分厚かった。そして難解だった。私も少しずつ、かなりの時間をかけて読み終わったのだが、読んでいる間の興奮はあったのだが、読み終わると何が書かれていたのかよくわからなかったという、なんとも情けないことになっていた。
『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』を読んだときには、さらに興奮が増した。これは、おそらく野戦と永遠で語られていたことをもう一度、敷居を低くして、それでもコアなところは残しつつ、語りなおしてくれているのではないかと思った。あくまで私の理解であるが、とにかく『切りとれ、あの祈る手を──〈本〉と〈革命〉をめぐる五つの夜話』は凄まじい衝撃を与えられた本だった。
私が理解できている範囲ですら感動的で、何度か読み直したのだが、そのたびに涙しそうになる本であった。この本には、本のすごさと、それを売る書店員に元気をくれる言葉が書かれていた。
それから、佐々木中の本は出るたびにすべてではないが読み漁っていた。
あるときから本が出なくなった。
忘れかけていたころに出版されたのが今回の本だ。
あるときから本が出なくなった。
忘れかけていたころに出版されたのが今回の本だ。
驚いたことに、万人のための哲学入門と銘打ってある割には、薄いのだ。この薄さの中にいったい何が書かれているのだろうか。佐々木中は薄い本の中にどれだけのことを閉じ込めたのだろうか。興味がわいた私は、久しぶりに佐々木中の著作を読むことにした。
読んでみて驚いた。
ここには生と死の間にある何か、とりわけ死についての何かが、書かれている。書かれている言葉はとても平易で読みやすい。
しかし、考えるべきことは多く、そして難しくもある。
著者はとにかく死を見つめる。しかし、その見つめる目の奥には優しさを感じる。私たちもおのずと死を見つめざるを得ない。
しかし、なぜかそこには恐れがなくなっていく。そしてそのままの平易な語り口で最後まで読まされると、そこには救いが待っている。
ここには生と死の間にある何か、とりわけ死についての何かが、書かれている。書かれている言葉はとても平易で読みやすい。
しかし、考えるべきことは多く、そして難しくもある。
著者はとにかく死を見つめる。しかし、その見つめる目の奥には優しさを感じる。私たちもおのずと死を見つめざるを得ない。
しかし、なぜかそこには恐れがなくなっていく。そしてそのままの平易な語り口で最後まで読まされると、そこには救いが待っている。
とりあえず一読して感じるのは安堵の気持ちかもしれない。しかし、考えるべきことはもっと多いような気もする。
だが、安心して欲しい。
最初にも言ったように、この本は薄い。私たちはこの本を何度でも読み直すことができる。なにしろ、著者が言いたかったことは、この本にすべて閉じ込めてあるのだから
何度でも、何度でも、私たちは繰り返しこの本を読もう。
何度でも考えよう。
だが、安心して欲しい。
最初にも言ったように、この本は薄い。私たちはこの本を何度でも読み直すことができる。なにしろ、著者が言いたかったことは、この本にすべて閉じ込めてあるのだから
何度でも、何度でも、私たちは繰り返しこの本を読もう。
何度でも考えよう。
その日が来るまで。