広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.305『半暮刻』月村了衛/双葉社
蔦屋書店・江藤のオススメ『半暮刻』月村了衛/双葉社
やられた
まさかこの本でこんなに泣かされるなんて
だって、内容紹介読んだけど、泣く要素なんてどこにもなさそうだったじゃないか
悲しい涙でもなく、感動の涙でもなく、悔しい涙でもなく
体の奥の深い深いところからぐぐっと突き抜けて溢れてくる涙だった
こんなところから出る涙を流したのははじめてかもしれない
まさかこの本でこんなに泣かされるなんて
だって、内容紹介読んだけど、泣く要素なんてどこにもなさそうだったじゃないか
悲しい涙でもなく、感動の涙でもなく、悔しい涙でもなく
体の奥の深い深いところからぐぐっと突き抜けて溢れてくる涙だった
こんなところから出る涙を流したのははじめてかもしれない
主人公はふたり、児童養護施設で育った元不良で少年院上がりの翔太と有名私大に通う家柄も良い、いわゆるエリートと呼べる海斗。ふたりはある会員制バーの従業員になる。その会員制バーにある従業員用マニュアルに従って彼らは自らの成長と自己研鑽を積んでいくのだが。そのバーの実態とは、言葉巧みに女性を惚れさせお金を使わせ借金まみれにした後に風俗に落とすことを目的とした半グレが経営する店だった。
彼らは自己実現のため、学びのため、と称してマニュアルを聖典のように崇拝し業績を上げてトップへと登っていこうとするのだ。
彼らは自己実現のため、学びのため、と称してマニュアルを聖典のように崇拝し業績を上げてトップへと登っていこうとするのだ。
この小説は2部構成となっています。まず第1部は先程説明したあらすじの内容で、会員制バー「カタラ」でのし上がっていくふたりが描かれます。かれらはこのバーの経営者である、城有という男に心酔していて、あんなふうになりたい、認められたい、そのためにはもっと成績をあげてトップにならなくてはいけない。という感情から、女性たちを地獄に落としていくことに全く罪悪感を抱かず淡々とこなしていきます。そして非常に相性が良かった翔太と海斗が手を組んだとき、ふたりはトップに近づいていきます。
そしてその後が語られ始めます。まずは翔太の罪。女性たちを騙し、地獄へ突き落としていった彼の罪は決して許されるものではありません。彼はその罪に向き合わなければならないのです。しかし、翔太が抱えている罪はそれだけではなかったのです。
さらに2部ではエリート街道をひた走る、一見順風満帆な海斗の罰が描かれるのです。ここはもう、ヒリヒリとした不穏な空気が充満していて、いつほころびが現れるのかという、読んでいてもとにかく落ち着かない、そして訪れるラスト。私達はどう捉えるべきなのか、目の前に刃を突きつけられるような気持ちになりました。
私はこの小説の中でも、第1部の後半、翔太を主人公としたパートにもう心を直接素手で握られてぐいぐいと揺さぶられるような感触を味わいました。そしてどの感情から来るのかわからない涙が溢れてしまいました。私は不覚にもこのパートを外出先で読んでしまったので、ボロボロとあふれる涙をハンカチで拭きながら、いったい自分はどう名付ければいい涙を流しているんだろうと困惑してしまったのです。
この小説が物語の中で使うアイテムとして、ここがもう私の心を揺さぶるのですが、古典と言われるような海外文学の名作が登場するのです。翔太は児童養護施設の出身で少年院にも入っていました。そんな彼は本を読むということをほとんどしていなかったのですが、知り合いになった女性が読んでいた本に興味を持ったことから、本を読み始めるのです。そこからの翔太の変わっていく様子、そこにはもう希望しかないのです。本当に素晴らしい描写で、本好きである私達が信じていたい本の力というものが、まざまざと可視化されます。本を読み、その感想を誰かに話す、その誰かからまた反応が帰ってくる。とても美しいシーンです。しかし、翔太には決して捨て去ることのできない罪があるのです。罪は罪を呼び翔太は抜けられない泥沼に足を突っ込んでしまうのです。
果たして彼に救いはあるのか。
果たして彼に救いはあるのか。
海斗のパートでは、現代社会が内包する大きな悪をあぶり出します。これは本当にリアルで、というか、ついこの間私達が見てきたあれの裏側を見せられるような既視感に溢れたパートです。なんとなくそうなのかもとぼんやり思っていたことをまざまざと見せつけられて、本当に言葉は悪いですが、胸糞が悪くなるパートです。
個人が犯した罪は、一生拭いきれない重さでその人を縛りますが。より強力で巨大な社会の悪に対してはどうやっても、その裁きの手は中心に届きません。周辺にいる半グレたちが消し去られるだけです。では、中央にいる半グレとは、、、作者である月村了衛さんの怒りがこの小説全体を支配しているように感じます。
しかし、それと同時に、私がこの小説を読んで、特に感じたのは本の力です。
私は本の力によって生かされてきたという自覚があります。
本があるから今があって、本があったからここまでやってこられたという自覚が。
だから私はその本の力を今も信じています。その本の力を次の誰かに託すために、本を仕入れて、棚に並べて、レジ打ちをして、こうして本を紹介したりしているのです。
私は本の力によって生かされてきたという自覚があります。
本があるから今があって、本があったからここまでやってこられたという自覚が。
だから私はその本の力を今も信じています。その本の力を次の誰かに託すために、本を仕入れて、棚に並べて、レジ打ちをして、こうして本を紹介したりしているのです。
しかし、この小説の中に書かれているのはそれだけじゃありません。もっともっと広く深くそして重く大事なものが書かれています。
そこにあるのは
小さな小さな希望なのか
大きな大きな憤りなのか
小さな小さな希望なのか
大きな大きな憤りなのか
それは、あなた自身で答えを探してみてください。