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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.309『まぼろしの小さい犬』フィリパ・ピアス 猪熊葉子 訳/岩波書店

蔦屋書店・佐藤のオススメ『まぼろしの小さい犬』フィリパ・ピアス 猪熊葉子 訳/岩波書店
 
 
日本の臨床心理学の第一人者であった河合隼雄さんは、子どもの本への造詣の深い方でもありました。
児童文学について語る著作のなかで「読まないと損だよ」と、推薦される作品がいくつかあります。ケストナー、J・ロビンソン、長新太らとともに取り上げられるのがイギリスの作家フィリパ・ピアスの本であり、今回ご紹介する『まぼろしの小さい犬』は、とりわけ力を込めてその素晴らしさを伝えておられた作品です。私は河合隼雄さんの書かれたものを読んで、それまで手に取ることがなかったピアスの本を読むようになりました。
 
ピアスの作品中最も有名な『トムは真夜中の庭で』が、ファンタジーを基盤とした物語である一方、『まぼろしの小さい犬』は、現実の世界の出来事を物語りながら、その人固有のファンタジーを持つことが、生きることとどのように深くかかわるのかを描き出した作品です。
その人固有のファンタジーを持つというのは、その人が、何か自分が好きだと思うものを持っていること、心を奪われたり夢中になったりするものがあること、何かを愛しているということに言い換えることができると思います。『まぼろしの小さい犬』の主人公である少年ベンの心に住みついたファンタジーは、自分の犬を持つということでした。
 
ベンは、両親兄弟と共にロンドンのアパートで暮らしています。ごく一般的な家庭でこれといった問題もなく、家族は皆それぞれの自分の生活を楽しんでいるようですが、姉二人弟二人の間に挟まれて、ベンは兄弟のなかでいくらか疎外感のようなものを感じています。そうしたなか彼が密かに切望しているのが、犬を飼うことです。諸事情からその願いは実現される見込みがないのですが、ベンはあることをきっかけに、心の中に自分にしか見えない“チキチト”という名の小さな犬を思い浮かべるようになります。そして次第にベンは、目覚めている時間のほとんどを、まぼろしの犬チキチトとともに過ごすようになるのです。
 
チキチトは、ベンが目を閉じると、まるで現実にそこにいるかのように現れます。自分の部屋のベッドの上で、地下鉄の中で、授業中の教室で、じっと目を閉じて、まぼろしの犬チキチトが自分に懐き元気に走り回る姿を見ることに心を奪われているベンの様子は、周囲から見れば理解に苦しむ異様な姿として映ります。「あの子はちょっとおかしい」と噂され、精神的に問題があるのではないかと疑われる状態です。またそうしたベンの挙動を、ただ子どもが犬を欲しがるというありふれた普通のことでそうなるのは大袈裟だと感じるような見方もあるかもしれません。
しかし、どうあっても自分の犬を持つことなどできはしないという、やりきれない思いを一人抱えながら、それでも強く憧れずにおれない、そうしたベンの心の動きを手に取るように描き出すピアスの語りで追ってきた読者はそうは感じません。ベンにとってそのまぼろしの犬が、どんなに大切で必要なものであるか、胸に迫るように分かるからです。
 
そのあと物語は、いくつかの段階を経ながら、ベンのまぼろしの犬が「心のなかに完全に内在化され、少年が一人の個人として生き抜いてゆくための支え」となるまでの過程を描いていきます。
 
今回申し上げていることは、河合隼雄さんの著作に私が感銘を受け、自分の出来る範囲で理解、踏襲したことを元にしています。
『まぼろしの小さい犬』についての解説をされるなか、たくさんの大切なことが著されており、触れるべきことがらは他にもあるのですが、ここでは以下、本書の持つ意義を示すものとして、こうした子どもの本で語られることが、生きることの本質とどう関わるのかということについて説明された著述の一部を引用したいと思います。
子どもの目を通して表現されるこのような児童文学は、純然明瞭に真実を捉えるとしたうえで、河合さんは我々の現実認識のあり方について次のように述べています。
 
「…現実というものは極めて多層的であり、それはさまざまの真実を包含していると考えられる。…世界を単層的に見ると、統一理論が見つかり、一般的な答が見出だされる。そこに文学がはいりこんでくる余地はない。…
 
現実の多層性は、単純にひとつの真実を告げてくれない。…対立するもののどちらかを正しいと考えたり、善と考えたりすることなく、その対立のなかに身を置くことは大変なことである。もちろん、これは善悪の判断を避けて、状況から逃避することとは、まったく異なるものであることは言うまでもない。実のところ、避けるどころか、状況の真只中にはいりこんでゆくのである。このような苦しい状態に耐え、個性的な道を見出だすための基盤として、すべての場合に、何かを愛すること、好きになることが存在していることは、注目に値することである。
ここに取りあげたほとんどの作品において、愛することが、表になり裏になる相違はあるとしても、大切なテーマとして存在していることに読者は気づかれるであろう。…愛することという不可解な力によって、人間は現実と個性的にかかわるための苦しみを乗り越えてゆけるようだ。…」 (岩波現代文庫『子どもの本を読む』河合隼雄/著・河合俊雄/編 より)

何をどう受けとめるべきかということを、耳元でいつも問われ続けていたようなコロナ禍を通じて、つくづく感じたことのひとつに、世の中に純粋に正しいことや、純粋に間違っているということなど無いということがありました。また一方で、さまざまな価値観が認められているようで実際はある一定の価値基準が社会で幅を効かせ、個人に大きな影響を与えているという現実があります。そうしたなか、その人が生きるうえで、何かが好きであるということの持つ重みについて考えてみることは、大きな意味があるのではないかと思うのです。
 
 
 

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