広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.85
蔦屋書店・犬丸のオススメ『月をめざした二人の科学者 アポロとスプートニクの軌跡』的川泰宣 著/中公新書
月を見上げるのが好きだ。特に、昼間に見える月が好きだ。
青い空に白く浮かぶ月をみつけると、なぜだか、月が今日も近くに「いる」と思う。立体感を感じ、あんなに大きな衛星が地球の近くを公転していることの不思議さと不穏さに、ぞわぞわとする。
宇宙空間で、月は地球から最も近いが、人が到達するには遠く困難な大地だ。
好奇心は人の心を掻き立てる。「月へ行ってみたい」。幼いころの純粋な好奇心を生きる目的にまで高めた、二人の天才科学者が同時期に存在した。
コロリョフとフォン・ブラウン。いわば、二人の執念が、二十世紀の宇宙開発を牽引していく。
二人は、それが幸か不幸か一度も会った事が無い。
コロリョフはウクライナ、フォン・ブラウンはドイツに生まれた。幼いころには初期の飛行技術に心を奪われ、学生時代にはロケットに夢中になる。二度の大戦を経験し、コロリョフはソ連で、フォン・ブラウンはドイツからアメリカへ亡命し研究開発を進める。
戦争中もそうだが、戦後も二人は両国で順風満帆に月を目指せたわけではなかった。科学も技術も分からないような権力者の命令で、非人道的な行為にも加担させられる。
それぞれの国で、さまざまな困難や失敗を乗り越えながら、それでも宇宙へ飛び出すことを捨てられない。その困難は、両国の間だけではなく、自国の権力者との対峙も待ち受けている。
そして、1957年10月4日。
ついに、初の人工衛星スプートニクを載せたロケットがソ連のバイコヌールから宇宙へ向けて発射された。スプートニクは軌道に乗り電波を地上局でキャッチする。成功だ。
スプートニクを打ち上げ軌道に乗せた技術はもちろん素晴らしいが、一番はスプートニク自体の美しさだ。金属球体は曇りなく磨き上げられ、四本のアンテナは後方へ長くたなびく彗星の尾のようだ。軌道に乗るスプートニクは、地上からどの星よりも明るく空を横切ったことだろう。
そこからアポロの有人月面探査までの、両国の白熱した宇宙開発は本書を読んで確かめてほしい。今ではコスト面から言っても、有人探査はとても難しい。だが50年前、1969年7月20日、人類は確かに月の大地を踏んだ。場所は、静かの海。
今では、毎日のように観測機や探査機から送られてくる画像で、近くから遠くの宇宙まで知ることが出来る。ブラックホールの直接撮影、はやぶさ2の小惑星へのタッチダウン成功。火星には探査ローバーが着陸していて火星の大地や青く見える夕日も、地球にいながら見ることができる。
そして、地上400キロメートル上空を周回する国際宇宙ステーションでは、滞在する宇宙飛行士が宇宙環境を利用したさまざまな研究を行っている。各国の宇宙飛行士の間には国境などない。多国のモジュールで構成されたステーションを見たら二人は、どんな風に思うのだろう。
わたしたち人類は、もう科学の力を手放せないところまで来てしまった。だからこそ、何が行われているのか知ることが重要だ。科学の力に惑わされることなく、おごることなく、全ての研究成果が、少しでも多く平和利用へとつながることを望んでやまない。
フォン・ブラウンが中学生の時に手にした一冊の本。
『惑星空間へのチケット』(ヘルマン・オーベルト著 1923年発刊)
彼は、本のなかに頻出する方程式を理解できるようになることこそ、自分の未来には必要だと気づく。そして、一年後には教師の代理で授業を行えるくらいになるまで数学を勉強した。
一冊の本が、見上げるだけの月から、行くことを可能にする月へと彼を導いたのだ。
「本を読む」ということ。それには、なにかとんでもなく大きな力が湧いていて、心と身体を強く突き動かしていくのだ。
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