広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.117
蔦屋書店・犬丸のオススメ『私という病』中村 うさぎ 著/新潮社
中村うさぎ。
その名前を聞いて。「ああ、あの…。」と思い出すこと。
買い物依存、ホスト通い、整形、デリヘル。当時TVで見かけていた彼女の印象は、とにもかくにも変わった人。どちらかといえば、少し苦手。
なのに、この本を手に取ったのはなぜだったのか。最近TVで見かけなくなった懐かしさからか、それとも激しそうな性格の彼女を覗くような、怖いもの見たさの野次馬根性だったのか。
ただそれ以上に、『私という病』という題名が突き刺さっていた。
作家の彼女がやたらTVで話題になっていたのは、15年から20年前辺りだった。47歳でデリヘル嬢として風俗店で働いた後の体験記から、本書(2005年出版)は始まっている。そのあたりはスポ根のようで笑えるのだが、デリヘルの仕事について書かれているのは、一部でしかない。彼女は体験した後で、自分の肉体や心の声に耳を傾けながら問題を考えていく。「それが、私のやり方だ。」と。
彼女の客は、礼儀正しく「人間」としてやってきた。彼らは、お金で買った女を「人間」として取り扱う。そこでの行為は性的幻想だが、お互いの性的価値の確認がありコミュニケーションがあったのだ。翻って、現実ではどうだと彼女は考える。私たちは「女」として「人間」として扱われていないことが多いのではないか。デリヘル嬢という仕事を蔑むのは女性ではなく男性が大半だった。一方、「女」を神格化する男性もいる。それもまた「人間」として扱われていることにはならない。私たちは、自分を肯定したいのだ。周りのそれぞれの人達から多角的にアイデンティティを承認されることで、ようやく一個の完全な「人間」としての存在を達成した気になれるのだ、と。
彼女もまた、どうしようもなく物事をぐるぐると考えてしまう不器用で愛すべき「人間」だった。TVで明るくふるまう彼女は、彼女のほんの一面でしかなかったのだ。そして、1997年に起きた東電OL事件の被害者に心を寄せている。この事件は、東京電力の幹部社員だった女性が、あるアパートで殺害された未解決事件だ。後の捜査で、退勤後、売春をしていたことが判明。マスメディアによって取り上げられた被害者のプライバシーをめぐり、議論が喚起された。
うさぎさんが被害者について書いていることは、あくまでも推測の域を出ないのかもしれない。ただ、この事件に対して同性として感じる、他人ごとではないという心のざわめきがある。被害者の女性は、もう一人の私だと。
私たちは、分裂した自己を抱えて生きている。ひとつの心の中に何人もの自分が同居してて、互いに相手を責めたり嘲笑ったり憎んだりしている。なかには手綱を放すと暴走しそうな自分もいるから、そいつを注意深く抑えつけ、他人に気づかれないよう気を配りつつ、表向きは「きちんと一貫性のある私」を維持しているけど、心の内側は葛藤の嵐だったりすることもある。
心にかたちがあるとするなら、無限で自在な多面体ではないかと思う。「分裂した自己」がそれぞれの面に存在し、他者と触れ合う面がその時々で変わる。その多面体の中には液体があり、液体は穏やかに満ちるときもあれば、激しく渦巻いたり、乾いてしまうときもある。 そして、他者の中に見えてしまう様々なもの嫌悪さえしてしまうものも、私たちそれぞれが持っている、ある一面なのだ。
東電OL事件の被害者に感じる他人ごとではない感覚。それは、たまたま人生の分岐点で選ばなかった道を行った私かもしれないのだ。そして、中村うさぎもまた、私の中のもう一人の私なのだろう。
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