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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.273『ナンセンスな問い 友田とんエッセイ・小説集 I 』友田とん/エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)

蔦屋書店・犬丸のオススメ『ナンセンスな問い 友田とんエッセイ・小説集 I 』友田とん/エイチアンドエスカンパニー(H.A.B)
 
 
ナンセンスな問いに私は駆り立てられる。そこには意味など何もないし、問うたところで社会が変わるというようなものでもない。しかし、しばしば当然と思っているところに風穴を空けてくれることがある。問わなければ気づきもしなかったことが、初めて目に留まる。いつもの日常がちょっと違って見えてくる。世界が可笑しさに満ちてくる。満ちてきたらどうなのだと言われると、困ってしまうが、困ったなあと言いながら、私は今日もナンセンスな問いを発している。(本書 まえがきより)
 
著者の友田とんさん。出版レーベル「代わりに読む人」の代表で、作家としてまた編集者として日々活動されている。「代わりに読む人」のモットーは、「可笑しさで世界をすこしだけ拡げる」。その可笑しさを友田さんは、言われなければ通り過ぎる、一見何もないような日常の中に見いだす。
今回、紹介したい『ナンセンスな問い 友田とんエッセイ・小説集I』は、友田さんならではの独特の視点で見つけ出されてしまったとしか言いようのない「ナンセンスな問い」たちのエッセイと、短編の小説まで読める、「フフフ」な気分になること間違いなしの一冊だ。
 
この本を手に取っていただいたなら、まずは目次をじっくりと眺めてほしい。
「本屋に行く 時々負ける水戸黄門」
あの有名な時代劇水戸黄門が負ける?負けたことなどあっただろうか。大概、最後の15分で印籠を出してからの名台詞で大団円のはず。しかも、時々ということは結構負けなければならないのか。
「串揚げやの向こうへ」
向こう?串揚げ屋があるとして、どの方向への向こうなのか。建物を突き抜けるのか。味?味の向こう側なのか。まさかとは思うが、その串揚げ屋には入っていないのか。
「本屋に行く 本屋に行かない」
いやもはや、どうすればよいのか。一歩踏み出してから、くるりと方向転換して逆方向へ走り出すわたしを想像する。本屋は目の前だ。
タイトルに引っ掛かり、じわじわと可笑しみが溢れてきたのなら、あなたも今まで通り過ぎていたような「ナンセンスな問い」を見つけることができる準備が整ったと言えるだろう。
 
そして、最初のエッセイ。
「本屋に行く 共同開発されたうどんをめぐって」
風邪をひいた友田さんが、「カトキチ さぬきうどん」をつくろうとして袋を裏返すと「私鉄系スーパーマーケット8社の共同開発商品です」という文字が目に飛び込んでくる。気になる私鉄系スーパーマーケット八社の正体。なぜ共同でうどんを開発するのか。風邪をひいて微熱でぼんやりとする頭で八社とはどこのスーパーマーケットなのかについて考え、そこから共同開発に至るカトキチの社長についてぐるぐると妄想する。カトキチ三代目の奮闘ストーリーだ。さらにはスーパーマーケットへ共同開発商品を探しに行く。かごも持たずスーパーマーケットで次々に商品を裏返し八社の共同開発商品かどうかを確かめていく友田さんの姿を想像する。冷凍うどん、袋入り茹でうどん、揚げ玉、ワイン、日本酒、乳製品、パン、どんどん裏返す。そして、友田さんの妄想は頭の中で展開に展開をかさね、謎を解決するために行きつく先は本屋なのだ。そこで一冊の本を手にする。
 
解らないことがあれは、ネットで検索し答えらしきものに最短距離で到達する。それは途中下車できないジェット機に乗り目的地まで運ばれるようなものだ。それはそれでとても便利なことであるし、必要なことでもある。ただ、それだけではなくたまには歩いて散歩するように脳内で遊ぶもの忘れてはいけないことのように思う。一応目的地には向かうが、歩いていれば気になる脇道もあるだろうし、見たことが無いような看板や草花も目にするだろう。そこで、目に留まったものがあれば脳内の記憶を思う存分引っ掻き回しながら、ゆっくりと目的地に到達すること。たとえその目的地が最初とずいぶん離れていたとしても。
 
そして、友田さんの文章やイベントなどのお話しを聞いていると、常に開かれているひとだなあと思う。
思い出すのは、郡司ペギオ幸男さんの著書、『天然知能』(講談社)や『やってくる』(医学書院)で書かれた「天然知能」という概念だ。それは、自分にとって意味のない、役に立たず目にも入らないような、知覚できない徹底した「外部」の存在を信じ、やってくるのを待ち受け入れる。その「外部」と生きる存在こそ天然知能なのだと。その「外部」を感じるにはA=Bのような閉ざされた文脈ではなく、AとBの文脈を逸脱させる。逸脱させることでできたギャップがあるからこそ、そこへ全く関係ないような新たな文脈が際限なく押し寄せる。その新たな文脈が「外部」の存在なのだ。常に開かれていなければ、「外部」はやってはこない。
まさに、友田さんは知覚できない「外部」を知覚できる「天然知能」を持っているといってよいのではないだろうか。だからこそナンセンスな問いを立てることができるのだ。
 
問いは解決することなく新たな問いを生み出す。だからこそ、また本屋に行く。なぜなら本屋では世界の不思議を詰め込んだ本がうっかり手に取られるのを待っていてくれるからだ。(本書「本屋に行く 共同開発されたうどんをめぐって」より)
 
この一文を読んで、わたしも改めて本屋が好きだと思う。本屋に入ってなんとなく背表紙を読みながらどんな本かワクワクとする。手に取る本は、わたしを待ってくれていた本なのだ。
「こんにちは。やっと出会えましたね!」

 
 
 
 

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