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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.215『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太/KADOKAWA

蔦屋書店・丑番のオススメ 『どうで死ぬ身の一踊り』西村賢太/KADOKAWA
 
 
芥川賞受賞作家の西村賢太さんが亡くなられた。まだ54歳の若さだった。現存する小説家の中で唯一全作を読んでいて、新刊が出るのが待ち遠しい作家だった。小説はもちろん、随筆も、日記もすべてが面白かった。
 
西村賢太は私小説家だ。私小説とは作者が体験したこと、それだけを素材として描かれた小説のことである。西村賢太は自らの人生を材にとって、私小説を書いてきた。西村賢太はどんな人生を歩んできたのだろう。
 
1967年生まれの西村賢太は中学を卒業した後、高校には行かずに一人暮らしを始め、港湾荷役などの日払い労働を重ねてきた。全身を酷使する肉体労働の仕事は身体を蝕む。疲れやストレスは酒とタバコで紛らわせる(未成年なのに)。癒えない身体と深酒のせいで、仕事も休みがち。1万円前後のアパートの家賃も滞納するような自堕落な暮らしを送ってきた。早く社会に出た西村賢太が自らの拠り所としていたのが、まだお子様の同級生たちと違って、社会的な経験(性体験も含む)では、彼らよりも多く積んでいるということ。しかし、年を重ねるにつれ、自堕落な生活を送ってきた西村賢太と少しずつでも積み重ねてきた同級生たちとの差は、社会的な経験という面でも、ほとんどないどころか、彼らのほうが上回っているような状況になってきた。そんな彼を支えたのは私小説だった。田中英光という私小説作家の。西村賢太は田中英光に20歳のときに出会う。ときは、1987年、バブル絶頂期のことだ。初読の感情が『やまいだれの歌』という私小説に綴られている。
 
どうしよう、と思っていたのである。とんでもないものを読んでしまった、との気分になっていたのである。
とにかく、その文章にも驚いていた。ヘタ過ぎて驚いていたのである。
こんなのが純文学であっていいのか、と思った。そしてこんな純文学がこの世にはあるのかと、その余りにも共感できる内容の面白さに圧倒されていた。それが、わけのわからぬ興奮を激しく誘っていた。
(中略)
自身の悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔でかたりつつ、それでいて作者はその悲惨を極めて客観的に直視しているのだ。
(『やまいだれの歌』より引用)
 
西村賢太は田中英光にのめり込んでいく。『田中英光全集』全11巻(芳賀書店)を入手するのは序の口として、その後は田中英光の一次資料を集めていく。初版本と再版本を入手し、その差異をチェックする。さらに雑誌掲載時の初出との違いもチェックする。その中で全集にも掲載されていなかった小説を発見する。田中英光に関わりのあるひとたちの話を聞きに行く。それらを収録したのが私家版『田中英光私研究』全8巻だ。文学研究者でもなく、在野のひとりの田中英光を愛するものとして、自費出版の本を作ったのだ。20代の10年間は田中英光に生活のすべてを捧げるという生活だった。ところが。
 
二十八歳のときに、こちらの泥酔の果ての一方的な無礼による、英光の遺族のかたとのトラブルで出禁となったとき、私は自省の念からすべてを諦めざるを得なかった。
(『田中英光傑作選/西村賢太選』の西村賢太による解説から引用)
 
田中英光には、金輪際ふれまいと、溜め込んだ資料も売却したという。それは800万円で売れたという。どれだけ、血道をあげて資料を集めたのかが伺える。その際、西村賢太は私小説に対する興味も一切持たないと決めたはずだった。ところが、西村賢太は別の私小説作家にのめり込むことになる。そのきっかけは酒に酔って人を殴り、逮捕されたこと。その境遇下で読んだ私小説が西村賢太を救う。それは、藤澤清造の『根津権現裏』。この人を支えに、生きていけると感じたそうだ。その後は、田中英光のときと同じように一次資料を集めていく。藤澤清造の歿後弟子を名乗るようになる。田中英光には全集はあったが、藤澤清造には全集はない。歿後弟子として、藤澤清造の全集の編纂の決意をする。全7巻の全集の内容見本(こんな全集が出るよというチラシのようなものです)が世に出たのが、2000年の12月のこと。その内容見本に寄せられた西村賢太の文章が熱い。
 
この人の、泥みたような生き恥にまみれながらも、地べたを這いずり前進し、誰が何と言おうと自分の、自分だけの矜持を自分だけのために貫こうとする姿、そして、結果的には負け犬になってしまった道行きは、私にこれ以上とない、人生ただ一人の味方を得たという強い希望を持たせてくれたのである。
(中略)
この全集さえ完結できたら、もう、あとはいつ死んでもいい。全力で編集にあたらせていただく。
(『藤澤清造全集内容見本』収録の『『藤澤清造全集』編集にあたって』より西村賢太の文章を引用)
 
西村賢太の手によっては、この全集は世に出ることはなかった。当初は資金不足が一番の課題であった。小説家として成功してからは文筆のほうが忙しくなった。また完璧なものを求め過ぎたということもあるだろう。ただし、歿後弟子として、西村賢太は自らが編集した3冊の藤澤清造の本を世に出した。新潮社から『根津権現裏』、『藤澤清造短編集』(この2冊は絶版となり、いまは角川文庫で手に入る。新潮から角川に移籍したのは角川文庫のほうが重版のロット数が少なく絶版になりにくいためだという)。そして愛書家のレーベル講談社文芸文庫から「藤澤清造 負の小説集」というサブタイトルのついた『狼の吐息/愛憎一念』を出版している。
 
ここまで長々と西村賢太の人生を語ってきた。西村賢太は小説家になろうとしてなったわけではない。私小説を読み、私小説に救われ、それだけを糧に生きてきた人だ。ひたすらに敬慕する私小説家の本を読み続けた結果、自分の文体を手にした。そのスタイルを得たときに、自分の人生を振り返ると、私小説家として、語るべきものがあった。自らの怠惰が、愚行が、一般的には恥ずべき人生と言われかねないような道程が、創作の面からみたときには豊穣な大地であったのだ。
 
西村賢太の私小説のスタイルはどんなものか。それは西村賢太が田中英光を評した言葉に近いだろう。「自身の愚行や悲惨を、何か他人事みたいな涼しい顔でかたりつつ、それでいて作者はその愚行や悲惨を極めて客観的に直視している。」というスタイルだ。小説でしか生まれないマジック。自分の実体験をもとに、それを虚構にすること。そこから生まれてくるユーモア。基本的に藤澤清造や田中英光や葛西善蔵などの大正・昭和の私小説作家の影響下にある文体なのだが、そこに突然カタカナ言葉が入ってくる文体の面白さも魅力的だ。また、会話文の面白さも特徴である。主人公の大正文士ふうなしゃべり方と他の登場人物の現代風のしゃべり方とギャップも味わってほしい。
 
 
最後におすすめの賢太作品をあげていきたい。
 
 
『どうで死ぬ身の一踊り』角川文庫
商業出版としての処女作。中短編3作収録する。タイトルは藤澤清造の句「何のそのどうで死ぬ身の一踊り」からとられている。西村賢太は一作目から完成された作家であったことがわかる。いわゆる「秋恵」ものの一冊でもある。唯一長期の同棲生活を行った女性との日常を描く。その日常は悲惨な末路を迎える。
 
『小銭をかぞえる』文春文庫
こちらも同居している女性、秋恵との日常を描く。主人公の愚行、最低の行動が描かれる。秋恵さんが魅力的に描かれているからこそ主人公の愚行が際立つ。そこに至るまでの日常の会話のユーモアが素晴らしい。笑わせようという描写と徐々に緊張感が高まっていく構成も見事。藤澤清造の全集を完成させるために金策に奔走する主人公も描かれる。
 
『苦役列車』新潮文庫
芥川賞受賞作。映画化もされた。19歳の港湾労働をしている主人公の生活を描く。家賃も滞納し自堕落な生活を送っているのだが、どこか自分にプライドを持っている主人公が憎めない。孤高であろうとするも、バイト先で仲良くなった友人に依存しそうになったり、友人とその彼女を罵倒してしまったり。罵倒の言葉の面白さは賢太作品の魅力であるが、それを存分に楽しめる一冊。
 
『蠕動で渉れ、汚泥の川を』角川文庫
17歳で好条件の洋食屋のアルバイトを見つけた主人公の生活を描く。西村賢太の数少ない長編の一冊。アパートを家賃滞納で強制退去させられ、洋食屋に住み込みさせてもらえることになる。ところが、主人公の身勝手で、他者を見下す言動がきっかけで立場がどんどん悪くなっていくさまを楽しめる。
 
『一私小説書きの日乗』角川文庫
角川書店のWEBで連載された日記をまとめたもの。中年男性の日記がなぜこんなに面白いのかというくらい面白い。角川WEBの終了後は『本の雑誌』へと媒体を変え、継続されていた。藤澤清造に関することや執筆のことやメディア出演のことが綴られている。とくに好きなのが晩酌の描写。これがとくにというわけではないのだが、パラッとめくったところの2012年4月13日の日記の晩酌を引用する。
「深更、缶ビール一本。宝一本。
手製のコンビーフ入り野菜炒めと、魚肉ソーセージ二本。
最後に、赤いきつね。」

『羅針盤は壊れても』講談社
西村賢太作品の中で唯一の函入装丁の本。大正期・昭和初期への本への憧れをかたちにした豪華本。本好きとしてもここまで力の入った装丁の本を手に取れるのは嬉しい。8ページの付録小冊子付き。

 
 
 
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