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広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.208『何もしない』ジェニー・オデル/早川書房

蔦屋書店・丑番のオススメ 『何もしない』ジェニー・オデル/早川書房
 
 
スマホに囚われながら生きている。
 
朝、目が覚めたら、布団の中でスマホのニュースをチェックする。メイントピックだけでなく、閲覧履歴から自分に適合するようなニュースも表示されているので、それもチェックする。朝の身支度をしながら、ポッドキャストの最新エピソードを聞く。2倍速で。出勤中にデニムのポケットに入れていたスマホが振動したのではないかとスマホを取り出すと何の通知も来ていない。わたしの太ももでさえ、常にスマホに注意を払っている。
 
膨大な情報に追われ、その処理に時間をとられている。これでいいのだろうか?
 
企業側から見ると、わたしたちは、「消費時間×クリック数」という換金可能な存在として認識されている。企業はそれぞれのデジタルプラットフォーム上で、いかに時間を消費させるかということに注力をしている。それはとても巧妙で、人間の生理にあわせ設計されたデジタルデザインは使用者を依存的にさせる。このようにして利益を得る経済のあり方を注意経済と呼ぶ。本書の問題意識はこの企業に奪われた時間を奪還し、「何もしない」、豊かな時間を取り戻せるのかということだ。
 
それでは、スマホを投げ捨てるか、SNSのアプリをアンインストールすればいいのではないかという意見がでると思うが、それは意味がないと著者はいう。やるか、やめるかの二者択一でない、第三の選択、テクノロジーに付き合いながら、注意経済に抵抗する方法を検討している。それこそが本質的にラディカルな抵抗であるという。
また、「何もしない」とは文字通り何もしないことではない。注意経済に刈り取られた自分の時間を持つことであるという。著者は以下のように書く。
「「何もしない」時間や空間に身を置くことが何よりも大切だ。個人のレベルであれ、集団のレベルであれ、考え、内省し、癒し、自らを支える方法はそれ以外にないからだ。ある種の「何もない」が、結局はなにかするのに欠かせない。」
 
さまざまな哲学やアート、文学、そして、自然との関わりを通じての抵抗の方法についての思索が進められていく。そこが本書の読みどころだ。注意経済から離脱をするために、明快な処方箋や答えが示されることはない。本書は、著者の思考の道筋をたどり、自分自身でも考えていくための本である。ひとつキーワードがあるとすれば、時間と空間への感受性ということだろう。空間に折り重なる歴史に対する感受性。この本を読み終わったとき、世界の見え方が少し変わるだろう。注意経済によって定められた枠を外して世界をみるとき、世界はより美しく輝いて見えるはずだ。
 
『何もしない』豊かな時間の過ごし方を提案している別の本を紹介したい。スズキナオさんの新刊『遅く起きた日曜日にいつもの自分じゃないほうを選ぶ』だ。前書きに書かれた一節を引用する。
 
 
「何も考えずに通り過ぎていた近所の喫茶店や食堂の扉の向こうに自分の知らなかった空間と時間があるという、そんな当然のことを改めて知った。そして、“近所”と簡単な言葉で指し示してしまう範囲に限っても、私が一生かけたところで到底知り尽くすことのできない広がりがあることも痛感した。」
これもジェニー・オデルの主張する注意経済に対する抵抗の一形態であると思う。それを軽やかなかたちで実現しているスズキナオさんは素敵だな、と思うのだ。
 
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