広島 蔦屋書店が選ぶ本 VOL.201『ステレオタイプの科学―「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』クロード・スティール 著 藤原朝子 訳 北村英哉 日本語版序文/英治出版
蔦屋書店・犬丸のオススメ『ステレオタイプの科学―「社会の刷り込み」は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか』クロード・スティール 著 藤原朝子 訳 北村英哉 日本語版序文/英治出版
ある人たちをカテゴリー分けし、固定概念を持ってそれを見るということ。
ステレオタイプは、ありとあらゆる場面や場所に存在する。
人種、性別、障害、出身地、年齢、職業、血液型など、知らず知らずのうちに社会にまたは個人に刷り込まれ内面化する。
北村英哉氏による日本語版序文にもあるが、ステレオタイプ自体は、そのカテゴリーの人たちにどのようなイメージがあるかといった認知面での概念なので、ポジティブなイメージもステレオタイプには含まれる。対し、偏見はそのカテゴリーの人たちへのネガティブなイメージに対する拒否、嫌悪、敵意の感情で、その感情に基づいた行動が差別となる。
本書は、そのステレオタイプによって周りからどう見られるかを意識してしまい、本来のパフォーマンスに影響を与えてしまう「ステレオタイプ脅威」について、科学的な調査・実験などの研究を踏まえ考察している。
本書は、そのステレオタイプによって周りからどう見られるかを意識してしまい、本来のパフォーマンスに影響を与えてしまう「ステレオタイプ脅威」について、科学的な調査・実験などの研究を踏まえ考察している。
著者のクロード・スティール氏は社会心理学者で、「ステレオタイプ脅威」「自己肯定化理論」の研究で知られる。そして、彼自身アフリカ系アメリカ人である。そう聞いただけでアメリカ社会を経験したことがなくとも、多くのステレオタイプやそこから派生する偏見・差別に彼自身がさらされてきたのではないかと想像する。事実、彼が幼少のころ(1950~1960年代シカゴ都市圏)に、公立プールやローラースケート場の使用時間の制約などの経験から、黒人なのだということを認識したとある。これは、あるカテゴリーの人たちの行動を物理的に制限する目に見える脅威だ。
「ステレオタイプ脅威」は、目に見えない。例えば、「高齢についてのイメージは?」と問われたら多くの人が似通った答えをだし、カテゴリーされる側もそのイメージを知っている。言い換えれば「わたしのことをどう思うか」を自身が知っているのだ。「がんこ」というネガティブにも捉えられるイメージがあるとするなら、それに当てはまる行動によって「高齢だから、やっぱりね」と評価されてしまいかねないことを、意識している。
そして、ひとりひとりのなかに多くのカテゴリーが重なりあい存在する。どのカテゴリーで社会や他者と接するかで「ステレオタイプ脅威」は変化しつつ、誰でも何度も経験する。そのうえ、ステレオタイプ自体を無くすことは難しい。
そして、ひとりひとりのなかに多くのカテゴリーが重なりあい存在する。どのカテゴリーで社会や他者と接するかで「ステレオタイプ脅威」は変化しつつ、誰でも何度も経験する。そのうえ、ステレオタイプ自体を無くすことは難しい。
本書は、アメリカ社会での「ステレオタイプ脅威」について語られているので、そのまま日本社会に当てはめるのは難しいのかもしれないが、どの事例もとても興味深い。
例えば、「女性は数字に弱い」というネガティブなステレオタイプの存在。それにより女子学生は難しい数学のテストで、女性だから数学能力が高くないとみなされてしまうリスクを負う。男子学生には、「男性は数字に弱い」という集団でのステレオタイプは存在しない。
そこで、心理学研究に基づいた実験方法でテストを受けてもらう。その結果、ステレオタイプを意識せざるを得ない条件下では、女性のほうの数学の成績がやはり低かった。
女子学生の成績が低かったのは「女性は数字に弱い」と思われたくないプレッシャーがあり、実力が出せなかったと著者らは推論する。一方、成績が低いのは遺伝などによる女性ならではの生理学的要素に原因があるのではないかという、以前から存在する仮説が消えた訳ではなかった。
その仮説を打ち消すために、プレッシャーをうまく軽減し再度テストを行う。そこで、性差が生まれなければ生理学的要素による仮説は否定される。
結果はといえば、女性の成績不振は無くなり男子生徒と同レベルの成績だったのだ。
例えば、「女性は数字に弱い」というネガティブなステレオタイプの存在。それにより女子学生は難しい数学のテストで、女性だから数学能力が高くないとみなされてしまうリスクを負う。男子学生には、「男性は数字に弱い」という集団でのステレオタイプは存在しない。
そこで、心理学研究に基づいた実験方法でテストを受けてもらう。その結果、ステレオタイプを意識せざるを得ない条件下では、女性のほうの数学の成績がやはり低かった。
女子学生の成績が低かったのは「女性は数字に弱い」と思われたくないプレッシャーがあり、実力が出せなかったと著者らは推論する。一方、成績が低いのは遺伝などによる女性ならではの生理学的要素に原因があるのではないかという、以前から存在する仮説が消えた訳ではなかった。
その仮説を打ち消すために、プレッシャーをうまく軽減し再度テストを行う。そこで、性差が生まれなければ生理学的要素による仮説は否定される。
結果はといえば、女性の成績不振は無くなり男子生徒と同レベルの成績だったのだ。
他にも、有名大学で少数派であった黒人の成績が振るわないことも、本人たちのモチベーションに関係しているのではなく、「ステレオタイプ脅威」により実力を発揮できないという事例や、逆に「アフリカ系アメリカ人の政治学」という黒人が多く選択する授業では、少数派の白人が人権問題に鈍感と見られたくないプレッシャーから積極的な発言を避けたりする。
当事者からの聞き取りなどの調査からはじめ、仮説を立て、実験をする。そして結果から新たな疑問、仮説が生まれる。それは、結果を疑うことも含まれる。本当にそこに因果関係があるのか。一見、正しいようだが、他の条件が関係しているのではないか。その過程が、時間軸に沿って書かれているので、少しずつ目の前の疑問が明らかになっていくさまにのめり込み、なにか証拠集めをしながら真実に向かう探偵にでもなったかのような気分になる。
そして、誰でも体験する「ステレオタイプ脅威」は、過去のうまくいかなかった経験を思い出し、あの時のわたしの心理状態はこのようなことが作用していたのかと、妙に納得する。
そのうえ終盤では、「ステレオタイプ脅威」からの解放と、自身のパフォーマンスをいかに取り戻し向上させるかについて、科学的な根拠を持って書かれている。その方法もとてもシンプルだ。
そのうえ終盤では、「ステレオタイプ脅威」からの解放と、自身のパフォーマンスをいかに取り戻し向上させるかについて、科学的な根拠を持って書かれている。その方法もとてもシンプルだ。
ある目標や目的があり、現状との差を問題とするならば、その差を近づけることが問題解決となるだろう。それにはポジティブなものも含まれるが、とりわけネガティブなものの時、その個人に問題があるのではないかとされることが多いように感じる。やる気はあるのか、能力が低いのではないか、と。統計などの調査結果も読み違えば真実は見抜けない。女性の数学の点数が悪いのは遺伝によるものだと紐づけることができてしまうように。だが、個人の環境も含めた周辺、社会に目を向けることが問題の本質を明らかにし、解決へと向かわせるのではないだろうか。
「ステレオタイプ脅威」は、どこでもいつでも存在する。とても一般的だ。わたしの無意識な行動や、次に発することばにステレオタイプな要素が含まれ、誰かが「ステレオタイプ脅威」にさらされてしまうかもしれない。逆もある。社会に生きているすべての人が当事者だ。
その当事者の多くの人へ、読んでもらいたい一冊であるのだ。
その当事者の多くの人へ、読んでもらいたい一冊であるのだ。