浦和蔦屋書店の本棚Vol.24 『七十四秒の旋律と孤独』久永実木彦/東京創元社

フェア
2023年05月26日(金) - 06月26日(月)
『七十四秒の旋律と孤独』久永実木彦/東京創元社

この度紹介するのは、久永実木彦先生の『七十四秒の旋律と孤独』です。SFにはこんな美しく抒情あふれる作品があるとだと知って驚いていただけたらと思います。本作は「七十四秒の旋律と孤独」と連作の〈マ・フ クロニクル〉の6編からなる短編集です。いずれの作品でも人工知性マ・フが語り手をつとめます。

まずは作品の世界観から始めましょう。マ・フというのはプログラミングされた人工知性つまりAIですが、マ・フの朱鷺型は複雑な神経回路をもっていて、体と知性が深く結びついているため知性単体では成立することができません。つまり機体に知能だけを移植することができない生物の個体的な特徴を備えているロボットです。

「七十四秒の旋律と孤独」は空間めくりというワープ航法の発明によって宇宙開拓が進んだ未来の世界です。このワープには74秒かかります。しかしこの時間を知覚し行動することができるのは朱鷺型のマ・フだけです。人間や宇宙船が無防備になる74秒を護衛するのが本作の語り手のマ・フ紅葉の任務です。紅葉が稼働して意識を持つのはメンテナンスを除けば、空間めくりを行うときのみです。空間めくりで通過する高次領域サンクタムではすべてが停止しています。宇宙の中で紅葉だけが生きる時間です。彼には自意識と美的感覚が備わっています。静謐な世界でクルーを見守り、宇宙の美しさに感嘆し、己の生の存在理由や自由について考える彼の意識の一つ一つが美しく繊細です。読者の心にやさしく響く短編です。続くマ・フ クロニクルの5編は連作短編です。この連作は「七十四秒の旋律と孤独」から大きく時間が過ぎ、すでに宇宙にヒトは存在していません。惑星Hに派遣された8体のマ・フは1万にわたって生態系の観測を続けてきました。彼らは母船で発見された、ヒトが遺した聖典(ドキュメント)を遵守しています。“特別をつくらない”というのが彼らの掟です。彼らは観測者であり、決して生態系に介入せず、またマ・フどうしでも特別な関係や立場をもつことを禁じています。彼らは外見こそ全く同じですが、一万年もの体験の蓄積による個体差の発現は避けようがありません。アクシデントをきっかけに特別な関係性を意識せざるを得なくなります。その時の葛藤こそ本作の面白さのひとつです。ある時、語り手のナサニエルは怒りに直面します。彼は“怒り”という言葉とその意味はすでに知識として備わっていますが、それが怒りであり、どのようなものかを経験することで怒りを学ぶのです。そのように戸惑いながら彼らは自分を獲得してゆきます。読者はマ・フたちを温かく見守りたいという優しい気持ちと、人間はなんて愚かなのだろうという悲しみを抱くでしょう。

マ・フたちの葛藤を描く繊細なタッチ、少しずつ見えてくるヒトが辿った道、語り継がれ書き換えられていく物語、と美しさと壮大さをあわせもつ傑作です。ぜひたくさんの方に手に取って頂きたいです。
補足:VG+(バゴプラ)というサイトでマ・フ クロニクル「天国には行けないかもしれない」が公開されています。こちらもどうぞ。

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