【第23回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『千年の読書 人生を変える本との出会い』三砂慶明/誠文堂新光社
何を見ても何かを思いだす『千年の読書 人生を変える本との出会い』
「何を見ても何かを思いだす」。これはヘミングウェイの短編のタイトルである。本書を読んでいて、私が思いだしたのはこの言葉だった。
この言葉はまったくそのとおりだと思う。人は、何を見ても何かを思いだす。そして同じ何かを目にしても、何を思いだすかは、当然ながら、人によって全然違う。
本書は本についての本ではあるが、一冊一冊の本についてそれぞれ感想やおすすめコメントを述べる、といったタイプの本ではない。生きづらさ、働き方、死などのテーマについて、何冊もの本を引いて語るタイプの本だ。それぞれの章で語られるのはつまり、各テーマから著者――と呼ぶのは何やら落ち着かないので、いつも呼んでいるとおり、三砂さんと呼ぼう――三砂さんが何を思いだしたか、である。
たとえば、「生きづらさ」について語った章において、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ、新潮社)に出てくる「誰かの靴を履く」という言葉から、三砂さんが思いだすのは『Papa told me』(榛野なな恵、集英社)だ。三砂さんは更にここから、『断片的なものの社会学』(岸政彦、朝日出版社)を思いだす。ノンフィクション、少女漫画、人文書。この、一見何のかかわりもない、ばらばらに見える三冊が、三砂さんという媒体を通して繋がる。
これは読書をしている時に人の頭の中で起こっていることの可視化に他ならない。ある文章が記憶を刺激して他の本を思い出させる。あるいはどこかでこれと繋がる何かを読んだというおぼろな記憶が呼び覚まされる。読書をしていてそのような経験をしたことが、誰しもあるだろう。エピグラフに掲げられている通り、「読書はとりとめがなくて、あちこちに話が飛んで、たえず人の心をそそる」ものだから。そして記憶は各人固有のものであるがゆえに、どのような本が「繋がる」かも唯一無二である。
本書は、本と共に生きる人の唯一無二の読書の記録を見せてくれる。そして――まえがきに引かれている、傑作について語るヴァージニア・ウルフの言葉のように――「一つの声の背後には集団の経験があ」るが、同じく一冊の本を読むという経験の背後にも、それまでの長い読書の経験があるのだと示してくれる。
本というものが生まれてからずっと、絶え間なく書かれてきた本を、絶え間なく人は読んできた。「千年の読書」というタイトルは、その長い積み重ねを表すのにふさわしい。
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