【広島 蔦屋書店】「日常、美しい器」ー出西窯の営みに触れるー
フェア・展示
1号館1F マガジンストリート 2024年03月01日(金) - 04月16日(火)
美しいもの、とは個人の感覚で千差万別です。
美しいと気づかなかったものに歳を重ねて気づいたりもします。
ただ美しい、とは一体どんなものなのか少し考えてみました。
器だと色、柄、手触り、厚み、大きさ、形、存在感、匂い、好み…。そしてどのように使うかも大事な理由のひとつかもしれません。モノづくりをされる方々は、使うわたしたちよりも、もっと真剣にそのことを考え、ずっと昔からどのような器が使いやすいのかをただひたすら作り続けています。その気持ちの成果が、ただ美しいのだと思います。それは、ふとした時に気づくのかもしれません。そんな時間がそばにあると幸せですね。ぜひ自分の目で見て触って、毎日を幸せにしてくれる器を選んでください。
美しいと気づかなかったものに歳を重ねて気づいたりもします。
ただ美しい、とは一体どんなものなのか少し考えてみました。
器だと色、柄、手触り、厚み、大きさ、形、存在感、匂い、好み…。そしてどのように使うかも大事な理由のひとつかもしれません。モノづくりをされる方々は、使うわたしたちよりも、もっと真剣にそのことを考え、ずっと昔からどのような器が使いやすいのかをただひたすら作り続けています。その気持ちの成果が、ただ美しいのだと思います。それは、ふとした時に気づくのかもしれません。そんな時間がそばにあると幸せですね。ぜひ自分の目で見て触って、毎日を幸せにしてくれる器を選んでください。
今回フェアでご紹介するのは、出雲の出西窯の器です。まずは簡単に出西窯のお話を、、とも思いましたが、ぜひこの書籍をご覧ください。
『出西窯と民藝の師たち 民藝を志す共同体として』
多々納弘光/青幻舎
終戦後の出雲で今後の生き方を模索する5人の若者は、農家の次男、3男坊。やきものを始めようと1947年に「共同体」の形態で開窯するが難航。ほどなく民藝思想に触れ、安来出身の河井寛次郎、鳥取の吉田璋也、岡山の外村吉之介、そして柳宗悦やバーナード・リーチ、濱田庄司らの指導を受け、実用の器づくりを実践してきた。
生涯の生きがいとは何か。仕事の喜びとは何か。創業者のひとりが語る、世代を越えた共同体としての軌跡。
現在は創業メンバーの子や孫、親戚と多様なキャリアを経て窯の門戸を叩いた若者たちで作陶に励んでいます。郷土の原料を大切にし、手仕事による、実用的な「用の美」が息づく器は、現代のくらしにも静かに寄り添い、毎日を心豊かに過ごせる道具となるよう作り手の想いがこもっています。
出西窯の作業場はもと農協の米倉庫だそうです。敷地内は「出西くらしのvillage」と名付けられ、陶器の展示販売場「くらしの陶・無自性館」、ベーカリーカフェである「ル コションドール 出西」、「Bshop」を併設しています。自然豊かでとても素敵な場所でここはドライブにもおススメです。
フェアでは、ベーカリーカフェで扱っている「ル コションドール 出西」のパンを週末ベーカリーとして販売します。またコーヒーや紅茶なども一緒に展開しますので、どうぞお楽しみにしてください。
フェアでは、ベーカリーカフェで扱っている「ル コションドール 出西」のパンを週末ベーカリーとして販売します。またコーヒーや紅茶なども一緒に展開しますので、どうぞお楽しみにしてください。
上記、書籍『出西窯と民藝の師たち 民藝を志す共同体として』多々納弘光(青幻舎)の出版を記念いたしまして、トークイベントを開催いたします。
出西窯創業者の1人である多々納弘光氏のご子息で、自らも陶工である多々納真さん、studio-L代表、関西学院大学建築学部教授、コミュニティデザイナーの山崎亮さん、聞き手にこの書籍の編集者である藍野裕之さんをお迎えいたします。出西窯が目指す理想の工芸共同体について、民藝の志しや仕事の喜びについて、ざっくばらんにお話しいただきます。滅多にない機会ですので、ぜひご参加くださいませ。
出西窯創業者の1人である多々納弘光氏のご子息で、自らも陶工である多々納真さん、studio-L代表、関西学院大学建築学部教授、コミュニティデザイナーの山崎亮さん、聞き手にこの書籍の編集者である藍野裕之さんをお迎えいたします。出西窯が目指す理想の工芸共同体について、民藝の志しや仕事の喜びについて、ざっくばらんにお話しいただきます。滅多にない機会ですので、ぜひご参加くださいませ。
2024年3月20日(水・祝)14:00 - 15:30
(Event Managerへ遷移します)
【著者プロフィール】
多々納弘光(たたのひろみつ)
1927~2017年。民藝の教えの共感して用の美としての陶器をつくり続け、名声とは無縁に生きた陶工。農家の三男で陶芸の素地はなかったが、同郷の有人たちと農村工業の共同体構想を抱き、20歳で陶芸工房の建設に着手。1950年に河井寛次郎の来訪を契機に美術陶芸から実用の器づくりに方向転換し、工房は出西窯と名乗るように。日本民藝協会にも加わり、民藝の普及に尽力。後年には協会の要職も務めた。
1927~2017年。民藝の教えの共感して用の美としての陶器をつくり続け、名声とは無縁に生きた陶工。農家の三男で陶芸の素地はなかったが、同郷の有人たちと農村工業の共同体構想を抱き、20歳で陶芸工房の建設に着手。1950年に河井寛次郎の来訪を契機に美術陶芸から実用の器づくりに方向転換し、工房は出西窯と名乗るように。日本民藝協会にも加わり、民藝の普及に尽力。後年には協会の要職も務めた。
- 期間 3月1日(金) - 4月16日(火)
- 場所 1号館1F マガジンストリート