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【インタビュー】須藤 蓮の太鼓判 映画『バーニング』

 
広島T-SITEでは、2021年に尾道を舞台とした映画『逆光』の公開に合わせて監督・主演の須藤蓮さんと脚本家の渡辺あやさんのトークイベントを行った。さらに『逆光』のPRになればとオリジナルZINEの作成やパネル展まで実施した。あのとき広島T-SITEの面々は須藤さんの熱に感化されていたのだと思う。
 
今回「広島T-SITEの太鼓判」の企画が立ち上がった際に、まっさきにこの人の太鼓判を聞きたいと思ったのが須藤さんだった。何に対して、熱を持って語ってくれるのか。2023年秋に公開予定の監督第二作の『ABYSS』の編集作業が真っ最中の須藤監督にお話を伺った。
 
「迷ってて。何に太鼓判を押すかを」という意外な言葉から須藤さんのインタビューは始まった。
 
 
 
映画を背負う覚悟。作るだけじゃなくてどう届けるか。
 
太鼓判というテーマにじわっと近づいてっていいですか?FOL(エフオーエル)っていう活動を立ち上げたんですよ、活動のテーマをずっと「文化の熱で人と世界を輝かせる」ってことにしてたんです。映画っていう言葉を使うと、焦点が絞られるのと、映画っていうジャンル自体が斜陽産業とも言われるんで、映画っていう言葉を外して、「文化」って言葉を使ってたんですけど。
 
先週ぐらいからの俺のテーマが映画から逃げないっていうことで。自分が元々すごい映画好きだったわけでもないし、映画監督になったのも流れみたいなもので。他の映画監督に比べて造詣が深いわけでは全然ないんですよ、だから映画って言葉をかわしてきちゃったんですけど、映画っていう言葉から逃げたくないなって思って。「映画の力で人と世界を輝かせる」って言葉に書き換えて、僕はFOLっていう活動で「映画の未来を切り拓こう」っていうことにしました。
 
未来を切り拓くていうと、なんかすごい大義名分があるように聞こえるんですけど、そもそも『逆光』で僕が各地を周ったりとか、いろんなイベントをやってたのって映画界の未来を切り拓くためじゃなくて、自分の未来を切り拓くためにやったんですよ。
 
自分が本当に新鮮だって思えたり、楽しいって思える映画、自分の作った映画を自分がいいって思ったスケールのまま届けるために、各地を回って丁寧に届けて受け取ってもらう、っていう活動をずっとしてきて、それは自分の未来を切り拓くためにやってたんですけど、それが結果的に、映画の未来を切り拓いてることだっていう自覚を持ってもやろうと思って。
 
 
 
 
 
映画というジャンルを背負います。勝手に(笑)。でも僕らの世代ってそういう人が多いイメージはあります。自分たちが影響を受けてきたものが売れない時代に生きてると思うんです。作るだけじゃなくて、どう届けるかまで考えていかないといけないっていうか。
 
最初にその文化っていう言葉から始まって、でもそれが結局、映画だったんだっていうことに最近気づいたので、太鼓判を押すのはやっぱり映画にしようと思います、っていう回り道をしたんですけど。
 
 

自分も映画を撮れると思ったジャ・ジャンクーの『一瞬の夢』
 
推している映画監督って全部アジア人なんですよ。ジャ・ジャンクー、ウォン・カーウァイとイ・チャンドンの3人なんですよ。あと次点で『ロングデイズ・ジャーニー』を撮っているビー・ガン。あとトラン・アン・ユンも一応フランスですけど、ベトナムじゃないですか。その5人。1人を語るってちょっと難しいんですけど。
 
僕が初めて、映画を撮ろうって思ったきっかけになった作品って、ジャ・ジャンクーの『一瞬の夢』って作品なんですよ。処女作で。すごい不思議な話なんですけど。人に映画を撮りたい気持ちにさせる映画ってあるなって思う。いい映画ってだけじゃなくて。
その一作目は、ジャ・ジャンクーの友達とかが出てて、イケてない眼鏡の男の子と風俗店で働いてる女性との本当に一瞬の恋愛。ジャ・ジャンクーの映画の何がいいかを説明しろって、むちゃくちゃ難しいと思ってて。『一瞬の夢』も手持ちの荒々しい映像で、ただ上手くもない役者を中国っていう背景で、そんなに決まりきってないカメラで収めていってるんです。2シーンだけやっぱ忘れられないシーンがあって。ひとつがお見舞いのシーンなんですよ。彼女の体調が崩れちゃって。スリをやってる全然どうしようもない男がお見舞いに行くんですよ。お見舞いのものを男が買っていくんです。その部屋でいきなり男の膝に女の子がパタンと倒れ込んでくるんです。引き絵で。家で光が差して。それまでもう何も起きなかった映画の中で、そのパタンってなった瞬間にグッてくるんですよ。
もうひとつはカラオケで2人の距離がぐっと近くなるときに、もう雑なカメラワークで、赤い光の中、カメラが動いて2人を捉えてるっていう、たったそのよくわからない2シーンを見て、俺も映画を作ろうってなったんですよね。映画を作ろうというか、俺も映画撮れるぞってなったんですよね。それは多分ジャ・ジャンクーっていう監督がカメラと人物だけで勝負してたから。もちろん簡単なことじゃないことは今思えばわかるんですけど。
 
 
 
 
自分たちの手の中でやれることを探れるかぎり探って、全力を尽くされた映画が放つ観客を動かす力みたいなものに憧れがあって。自分の映画でも、そんなに売れてる役者さん使ってなかったりとか、そんなに大きな体制で僕がやりたくないっていうのは、やっぱりああいう映画が放つ力をすごく知ってるから。自分の映画を見て映画を作りたいって思ってもらえたら、すげえ嬉しいと思います。
 
 
 
好きを決められなかった自分が初めて太鼓判を押せた作品
 
なんかこんなふうに偉そうに語っていけますけど、22、3歳くらいまでは自分が、何が好きかとかを自分でわからななかったんです。だから太鼓判を押すっていう行為自体ができなかった。僕世代とか下の世代でそういうことって、増えてると思うんですけど、自分が好きなものを自分で決めれないっていうことが結構ある気がしてて。自分で判断する前に人の評価が入ってきちゃうじゃないですか。それが、自分の感覚的には面白くないけど世間的には面白いものとかされてるものとか、自分的には面白いけど世間的には面白くないとされてるものっていうのが、存在しづらくなってる気がしてて、でも俺はそれがめっちゃ大事だと思うんですよ。
 
僕が初めて自分1人の力で頑張って面白いって決めた映画って、イ・チャンドンの『バーニング』って作品でした。村上春樹が原作。渋谷の劇場で見たんですよね。イ・チャンドンの名前は聞いたことあったし、とにかく『オアシス』って作品がすごいとか『ペパーミント・キャンディ』すごいって噂は聞いてて。映画ってものにそんなに興味がなかったんでいつか見たいなと思いつつ、その人の新作が出たってことで、自分の信頼するひとたちの評価が固まってない状態で見たんです。
見始めて、もう持ってかれて。ヘミっていう女性の魅力。夕暮れの中、いきなり脱ぎだして、踊るシーンがあるんですよ。なんだろうな。映画館で恍惚するっていうんですか、うっすら酩酊させられるみたいなのがとにかく好きで、劇場のソファーに座りながらそのシーンを見ながらこの映画を好きって呼ぼうって思って、その瞬間に決まったんです。
 
 
 
 
自分がその時に感じていた、閉塞感とか不安感とか、地に足つけて生きていけるか、がわかんなかった自分に、主人公のどうしていいかわからないっていう気持ちが重なって。とにかく心が揺さぶられて、帰り道の気持ちが忘れられないんですよね。すごい深い瞑想状態みたいなところに映画に叩き込まれて、そこから抜け出せないまま、帰り道を歩いた自分。あの感覚が今までの劇場体験で一番でかいパンチでした。自分の手で初めて太鼓判を押せた映画は『バーニング』です。それまでは人の手で一緒に押してもらってた。
 
自分のことを自分で決めるってすごい怖いし、わかんなかったっていうか。いまは、平気で押してると思うんですよ。心を打たれるときってもちろん自分の状態もあると思うんですけど、いろんなタイミングでこれは良かったとしか言いようがないぐらい感性が動かされてしまう瞬間ってあるじゃないですか。明らかに。自分が変わったからというよりも、交通事故みたいなもんっていうか、突然自分の人生に作品が現れて、魂を揺さぶられたというか。恋愛とかもそうじゃないですか。突然相手が現れて。選ばさせられるっていうか。選択肢として、それしかなかったみたいなものにものすごい色気を感じるんですよね。
 
 
 

 
イ・チャンドンのとてつもない凄さ
 
イ・チャンドンの中で『バーニング』は一番の傑作じゃないんですよ。やっぱ『オアシス』だと思うんですけど。俺の中では、絶対『バーニング』なんですよね。『バーニング』を見たことでイ・チャンドンやばいってなって、早稲田松竹に駆け込んで、『ペパーミント・キャンディ』と『オアシス』を見たんですけど、どっちも体がねじりきれるほど泣いたんですけど。でもなんか別に泣かされもしなかった『バーニング』の方が好きだったっていうのも面白いなと思って。泣けるのがいいんじゃないんですよ。作品の良し悪しと自分の太鼓判って違うなと思います。
最初に『バーニング』を見たときはまだ映画監督になる前ですね、いまも何度も見直します。印象はずっと変わらないんですよ。もちろん最初に見たときからすると、撮り方については、わかるんです。これやってんだ、みたいなことはわかるんですけど、何ですごいのかってことを未だに全然わかんないです。世界の構築・奥行き・強度がマックスに振り切ってるから、隙がない。すごい変な言い方ですけど、ウォン・カーウァイの例えば『ブエノスアイレス』って粗が目立つと思うんです。『花様年華』も脚本はよくないところがある。ウォン・カーウァイってずっとそうじゃないですか。現場の失敗をうまく活かしちゃっている面白さ。アヴァンギャルドさ。僕もどっちかというとそっちに近いんです。でもイ・チャンドンは完璧なんです。世界の深さをすごく知っている人です。ぜひ見てほしいですね。

 

 

監督第2作『ABYSS』は2023年秋公開予定
 
『ABYSS』は『逆光』より前に準備した作品なんです。第1作として『ABYSS』を取ろうとしたけど、コロナで撮れなくなって。でも『逆光』のあとに『ABYSS』を撮れたことは、めちゃくちゃプラスに働きました。『逆光』は、背景も尾道ですし、僕の芝居の比重も4人のうちの1人って感じだし、60分だし。もちろん簡単な作品とかではないんですけど、比較的僕の中ではハードルの低い作品だったんですよ、『ABYSS』は脚本も僕が書いたりもしてるんで。渡辺あやさんが書いてない部分もあるんで、脚本も粗いんですよ。『逆光』に比べるとそんな玄人的ではないです。素人的だし、舞台も渋谷で、正直尾道でいい画撮るなんて簡単なんです。ロケーションがいいから。渋谷でいい画を撮るってかなり難しくて。引き算によって作る美がないっていうか。過剰の中に美を見出すっていうのがむちゃくちゃ難しくて。
 
嫌な感じの空気の作品なんで、現場コントロールが難しかったです。現場の規模も予算も倍ぐらい、3倍とかなってるんでとにかく苦労しましたね。『逆光』生むのにかかった労力が2とすると17ぐらいありました。8倍(笑)
 
全身全霊こめて頑張ったのですが、ギリギリ指先が届かなかったと感じる部分があって。なので追加撮影したんですよ。1回負けてます、僕。そんな感じで歯が立たなかった部分が結構あって。でも、最終的な上がりはよくなりました。作品を見てもらったら何がどうなのかわかんないと思うんですけど、むちゃくちゃ自分的には挫折の連続という気持ちが正直ありましたね。
 
あと、芝居がめっちゃ難しいのと自分自身の比重がめっちゃ高い。明らかにNGでOK出さざるを得ない状況もありました。思い出すだけで怖いみたいな空気もあるし。自分が現場でしたOK・NGの判断が編集中に間違ってたって気付くときもありますね。NG出したカットのほうがが全然いいとか。OKカット使ってないですね『ABYSS』は。『逆光』はOKカットだけでほぼ作ってるんですけど、それぐらい自分自身もぶれた。決めきれなかった中で作った作品なんで、編集中にディレクションし直したって感じです。だからタイトルが『blue rondo』から『ABYSS』に変わったというのもあります。
体験ベースの若い監督の秀作っていう意味を大きく塗り替えに行くっていう作品の作り方にはなりました。この秋公開予定です。
 
 
『ABYSS』
2023年秋より シネクイントほかにて全国ロードショー
(C)映画『ABYSS』製作委員会
 
 
 
【プロフィール】
須藤 蓮(すどうれん)
 
 
須藤 蓮(すどうれん)
1996年東京都生まれ。映画監督兼俳優。『逆光』で映画監督デビュー。NHK大河ドラマ『 いだてん』、「First Love 初恋(Netflix)」など出演多数。FOL(Fruits of Life)活動の主宰。今秋には監督第2作『ABYSS』が公開予定。
 

photo_Rintaro Kanemoto
構成_丑番眞二

 
 

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