【第3回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『消失の惑星【ほし】』ジュリア・フィリップス/早川書房
消失に耐えながら、それでもどうにか生きていく。 『消失の惑星』
ある日、少女たちは消えた。八歳と十一歳の姉妹。まだ幼い二人の失踪は人々の注目を集める。彼女たちは事故死したのか。それとも何者かに誘拐されたのか。殺されたのか――。
あらすじだけを読むと、この本が特別な一冊であるということに気づいてもらえないかもしれない。罪のない子どもたちが姿を消してしまうという筋書きは、とても珍しいとは言えない。しかし、読み進めていくとわかるだろう。この本は、これまでに読んだことのない特別な一冊だ。
「消失の惑星」は、消えた姉妹の姉の視点で失踪までを描く「八月」に始まり、「九月」「十月」、…と題された物語から構成されている。最初に置かれた「八月」があのような物語であり、姉妹の失踪事件が他の物語の中でも語られることから、最初のうち読者はこう思うかもしれない。これは事件にいろいろなつながりを持つ人たちの視点から描かれた物語を重ねていくことで、姉妹に何があったのかを追求していく、そういう物語なんだな、と。
しかしどうもそうではないことが徐々に判明する。ある物語で主人公だった人物が別の物語に脇役として登場したり、名前だけ登場した人物が別の物語で主人公を務めたり、少しずつ重なったり重ならなかったりして展開されるいくつもの物語の中で、姉妹の失踪は時に大きく、時に小さく扱われる。そして、「事件について」語られるのは、大きな影響を受けた事件の関係者が主人公である時のみであり、他の主人公のパートで語られるのは、たとえば、恋人がいながら大学で出会った青年に抱いてしまった恋心、いなくなってしまった犬、家に閉じこめられたようにして暮らす、赤ん坊を抱えた母親の夢想、そういう、事件とは何の関係もないように思えることだ。
つまり、姉妹の失踪事件という通底するテーマはありながらも、語られているのはそれぞれの話の主人公の人生なのである。「姉妹の失踪事件が起きた。そして/それでも」続いていく、彼女たち(主人公はいずれも女性である)の生活なのである。ごくごくありふれた物語であるそれらを、作者は魅力的な文章で綴っている。
「二人の結婚の物語には、愛が少しと、怒りが少しと、たくさんの海があった」(P164)
「犬を世界一愛することは、オクサナにとってありふれたことになった。ほかに誰を愛せただろう」。(P288)
この確かな文章によって読ませる小説となった物語の一つ一つに耳を傾ける時、原題“Disappearing Earth”に含まれたdisappearということばが頭の中でこだまする。
”disappear”――それは”to be lost, or to become impossible to find”
(ロングマン現代英英辞典より )
――失われること、見つけることが叶わなくなること。彼女たちの物語の中では、友情が、愛する人が、あり得たはずの未来が、失われ、見つけられなくなってしまう。生きるということはすなわち、いくつもの大事なものが”disappear”していくのを見届けることだ。そして――特に「二月」の主人公であるレヴミーラや、「六月」の主人公であるマリーナに顕著に見られるように――それでもどうにか先に進んでいくことだ。
ジュリア・フィリップスが書いたのは「消えた姉妹に何が起きたのか」を解き明かすミステリーではない。いくつもの「消失」に耐えて生きていかねばならない人々が、時に粉々に砕かれた人生を、他でもない自らの手ですくい上げて進んでいく、そんな物語である。