【本のBATON Vol.18】本棚からひとつかみ vol.2|文学コンシェルジュ 北村

 本棚からひとつかみ vol.2

 

もう15年くらい書店で働いているが、書店員はおそろしく日常的に「オススメの本」を聞かれる。そして、それはけっこうやっかいなミッションだ。たとえば、はじめての飲み屋とか散髪屋にいくと、たいていその店のひとに、「なんのお仕事されてるんですか」「へー、本屋さんで」「じゃあ、すごい本に詳しいんですね」「なにかおススメの本ってありますか」というながれでざっくりと質問されて困っている。

社交辞令だとわかっていても、職業病なのか、ただの見栄なのか、あんがい本気になって考えてしまうものだ。これまでも、パリが好きだというから、ヘミングウェイの『移動祝祭日』を、アウトドアが趣味だというから、新田次郎の『強力伝』を、猫を飼っているというから、日高敏隆の『ネコはどうしてわがままか』なんかを薦めてきたが、だいたい「へー、じゃあこんど読んでみます」と言われる。まあ、読まないだろう。その返事のかんじでは。つぎにいったときに、「ああ、こないだのあれ読みましたよ」と言われたこともないし。こんな場合に芯を食った回答とはなんだろう、というのがわが書店員人生の最大の課題だ。なんかないかな。これさえ出せばオーケーな、印籠みたいなすごい本。

ただ、いつも思う。本そのもののおもしろさよりも、本を読むという行為のたのしさを伝えたい。読書のよろこびのまえでは、本のタイトルなんてそれほど重要ではないはずだ。
だがしかし、俺がコンシェルジュだ。薦める本にハズレはないぜ。

 

『そっと静かに』 ハン・ガン/著 古川 綾子/訳  クオン
 
良質な韓国文学の邦訳が続くなか、その代表的な作家であるハン・ガンのエッセイ集。マン・ブッカー国際賞を受賞した『菜食主義者』をはじめ小説作品では、社会の片隅で生きる人びとの耐えがたいほど重い魂の叫びが描かれる一方、本書では自身の好きな音楽や思い出にまつわる歌というパーソナルなテーマが選ばれている。なにより、巧みな文章に驚かずにいられない。自らの心のささやかで切実な揺れが、落ち着きと美しさを宿した一文一文によって、読者の心に「そっと静かに」語りかけるように綴られる。
そしてその魅力が、他国語に置き換えられてなお失われていないのだ。文章そのものに触れている時間を、おおげさではなく幸福だと感じた。
 
 
『読書の日記』・『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』
阿久津 隆/著  NUMABOOKS
 
 
東京・初台にある「本が読める店」として知られるカフェ「fuzukue」の店主による、その名のとおり「読書の日記」。WEB上で書き続けられてきた365日は、その日に読んだものとともに記憶され、記録される。暮らしや仕事の内容を綴る地の文章のあいだに、読んでいる本からの膨大な引用が繰り返し併記され、どっちがどっちかわからなくなるような、まるで生活を読書が侵食していくような感覚におちいる。
 
『読書の日記』で1100ページ、『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』でも600ページを超える鈍器のような造本もふくめて、本そのものがまるで読み終えることを拒否し、読み続けること強要するかのようだ。漫画家の高野文子が、ある女子高生の日常をとおして「本を読むという行為」そのものを描いた、読書家のバイブルといってもいい名作『黄色い本』を思い出す。本書はその現代版だ。
 
 
『身分帳』 佐木 隆三/著  講談社文庫
 
何度目かの刑期を終えて、社会復帰を果たすために苦闘する主人公を追ったノンフィクション・ノベルの傑作。犯罪者のその後の人生という、大きなドラマが終わったあとの余白ともいえる部分を、虚飾なく事実を積み上げていく文章でギチギチに埋めていく手法がすばらしい。その人生の大半を塀の中で過ごした男の立場から、誰もがあたりまえに暮らす世間そのものが描かれる。そこには、私たちが手にしている日常の豊かさと重さがあり、それを一皮剥いてしまえば、他者に対する想像力が容赦なく欠如した歪んだ断面が表出する。社会という複雑な有機体のなかで生きる、ひとりの人間のどうしようもない物語に圧倒された。
 
 
『牛乳配達DIARY』 INA/作  リイド社
 
タイトルのとおり、牛乳配達員の日常を綴ったコミックエッセイ。肉体的にも精神的にもきつい賃労働に心を折られそうになりながらも、庭先に咲く花の名前を憶えたり、見知らぬ子どもたちとの触れ合いというにあまりにも小さな戯れの時間といった、仕事のあいまに遭遇するちょっとした出来事に、今日と明日をやりすごせるくらいのささやかな喜びを見つける。平凡な生活のなかにある美しさに眼差しを向け、それを含羞とともに輝かせてみせる。そんな良質な私小説の現在形を、漫画表現で果たしたすばらしい作品。このあいだ、本に関する仕事をしている何人かでリモートで飲んでいるときに、あらかたみんなの話のネタが尽きたせいもあって、ついこの本のおもしろさを熱弁してしまった。いまとなってはシラフではとてもできないが、高校生のころなら読んだ翌日に友人に薦めただろう。こんなんなんぼあってもいい。
 
 
プロフィール:文学コンシェルジュ 北村
1980年神戸市生まれ。ナショナルチェーンの大型書店、駅前にある町の本屋、創業100年の老舗書店、雑貨併売・カフェを併設のセレクトショップと、さまざな業態の書店勤務を経て、2018年に梅田 蔦屋書店へ。好きな作家は、チェーホフ、山田稔、藤沢周平。影響を受けた作家は、安田謙一と荻原魚雷。好物はコーヒーと豚汁。ステイホームの過ごし方は、読書とジグソーパズル。最近、岡田睦の小説を読んで、ムスカリの鉢植えを買いました。『Meets Regional』『暮しの手帖』『神戸新聞』『図書新聞』などに時々書評を寄稿。定年したら自分で本屋を開業したいと思っています。
 
コンシェルジュをもっと知りたい方はこちら:梅田 蔦屋書店のコンシェルジュたち

「本のBATON」は梅田 蔦屋書店コンシェルジュによる書籍・雑貨の紹介リレーです!
18個目のバトンは文学コンシェルジュがお送りしました。
 
 
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