【第1回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ/早川書房
SFという枠で世界を描く、優しい短編集 『わたしたちが光の速さで進めないなら』
この短編集に収められているのはいずれもSFに分類される短編小説だ。そしてそこにあるのは、恐らくは優れたSFは多かれ少なかれそうであるように、SFという設定を使って描かれた現実世界である。たとえば「わたしのスペースヒーローについて」で、人類初の「トンネル宇宙飛行士」に選ばれた小柄な東洋人の中年女性であるチェ・ジェギョンに向けられるバッシングは、差別を是正するための措置であるアファーマティブ・アクションに、非白人に、女性に向けられる現実世界でのバッシングを思わせる。
「ある人の失敗はその人が属する集団全体の失敗になるのに、ある人の失敗はそうではない」
このどきりとするような一文が、著者が現実世界における差別というものをどのように見ているかを教えてくれる。そしてこの物語でジェギョンは、胸のすくような行為によって自らに向けられた理不尽なバッシングから抜け出すのだ。
そのシーンを思い描いてみる。現実世界に確かにあり、そこに生きる私たちを押し潰そうとする、大きくて強くて、一見何をしても傷一つ負わせられないように見えるもの、ジェンダーや身体的特徴に対する差別であったり、個人の生を蔑ろにする社会であったり――そう言ったものに対して振り上げられた拳のようで、そのイメージはある。
「巡礼者たちはなぜ帰らない」で巡礼者たちが帰らないこと、「わたしたちが光の速さで進めないなら」で老人が最後にとる行為、これらも同じ、振り上げられた拳である。そして彼らがなぜ拳を振り上げるのかというと、それは「スペクトラム」で描かれたような、言葉の通じない、姿かたちのちがう、住む世界さえまったく異なる存在との間に通ったもののためであり、「館内紛失」で疎遠になってしまっていた亡き母に娘が言う、その一言のためなのである。
たとえばテッド・チャンの「息吹」が、チョン・ソヨンの「となりのヨンヒさん」がそうであったように、作家はSFを愛しながら、つまりは人間について書いている。そしてこの作家の人間に向けるまなざしはとても優しい。