【裏方のコラム】わたしの好きを形づくる本たち
本を読んでいるときだけ、じぶんの世界に浸ることができる。ページをめくるたびに広がるじぶんだけの世界は気分を最高に盛り上げてくれ、ふわふわとファンタジーな世界へ導いてくれた。わたしにも魔法が使えれば、超能力で瞬間移動できれば、かっこいいパンクな乗り物にのって世界をあちこち飛び回れたら、と本はいつでも、いくつになっても夢を見させてくれる。
読書は、手持ち無沙汰な待ち時間や長くて退屈で、くりかえしの通学時間の気を紛らわせてくれる良き友みたいなもの。そんな親しみのある友を選ぶとき、どうしてわたしはその本を手に取ろうと思ったのだろう。
単純にあらすじだけで面白そうと思って読みたくなったり、装丁がきれいで持って帰りたくなったり、毎日出てくる疑問や悩みを解決してくれそうであったり、膨大な時間が広がっている人生の退屈しのぎだったり、じぶんが生きていることの曖昧さに正解を教えてくれる先生だったりと、その日その時の気分や直感で本を選んでいるのかもしれない。
小学生の時から暇さえあれば図書室に行き、棚から本を選んでは、絵本、伝記、小説、歴史もの、課題図書、マンガなど興味の趣くまま雑多に読んできた。そんなわたしの「好き」を形づくる本とはなんだろう。今までわたしが本と歩いてきた道を振り返ってみたい。
冒険はみんなが一度は憧れるもの。目的地は無人島か地底か、はたまた宇宙の果てか。
ふと棚を見たら海のように綺麗な青が目に飛び込んできた。ちょっとレトロで粋な潜水艦が海の中を照らしながら深く潜ろうとしていた。ネモ船長に誘われ、ノーチラス号に飛び乗って海底を大冒険した日々。
場面ごとに挟まれる劇画調な挿絵がまた味わい深く、わたしの想像力をさらに豊かにしてくれる。人間・地上ぎらいのネモ船長が見せてくれる海底の美しさといったら言葉で語ることが難しいくらい。ノーチラス号の展望テラスから見るタコや魚たちの暮らしも、アトランティス遺跡や戦闘で亡くなってしまった仲間を埋葬する墓地もすべては海の中にある。船で出される食事はもちろん海の幸。なんならペンも服も船内にあるものほぼすべてが海洋生物から作られている徹底さ。豪華なサロンもあるし、蔵書がたくさんの図書室もある。一生暮らせるほど生活に必要なものすべてが揃った潜水艦。だけど、さすがにずっと居ると地上が恋しくなってしまい、アロナックス教授たちと陸へ脱出した。
そんな冒険の思い出が新潮文庫の二冊に閉じ込められている。また行きたくなったらいつでも船出が出来るようにね。
ヴィレッジヴァンガードの奥の棚、雑貨の山に負けずと尖ったジャンルの本が積まれた中から表紙の宇宙飛行士と目が合った。その時から、心がすでに惹かれていたのかもしれない。
なんだか古めかしいタイトルと表紙だなぁと思って、手に取った。ページをめくってみて、最初の章を読んでみる。古いタイプのフォントで字が小さい。数行読んでみるも、やっぱりなんだか難しそうな話だと思って一旦は元に戻してしまう。それでも何度も店に行くたびに、その表紙と目が合ってしまう。ふと思って、またページをめくってみる。少し読んでから冒頭で力尽きた宇宙飛行士に思いを馳せる。気がついたらレジに持って行って、手の中に収まっていた。
ええい、読んでしまえ、これは絶対おもしろい本だ。おもしろいに違いない。違った。おもしろいと単調な一言では済ますことのできない壮大な物語だった。
星を継ぐものは、のちに続く「巨人たちの星シリーズ」の始まりにすぎない。初っ端から巻き起こる難解な科学用語のパレードをくぐりぬけたら、あとは宇宙で起きたひとつの星の一生をハントとダンチェッカー博士と一緒に謎を解いていくだけ。
SFでは当たり前に出てくる高性能コンピューターこと、ゾラックが登場人物の中で唯一のかわいいキャラクターである。そんなゾラックも三作目では、旧型に成り下がってしまい、新たに出てきた新型コンピューター・ヴィザーとの展開も熱い。SF好きで読んだことがない人はいないんじゃないかというくらいの名著。最後の文章がまた新しい宇宙の旅へとつながっている。
この物語は全てチャーリィの視点から語られる。チャーリィが見たもの、聞いたもの、思ったこと、考えたこと、悩み、憎しみ、他者を愛するきもち、そして過去の記憶すべてを巧みな翻訳の力で伝えてくれる。原書ではスペルがあちらこちらに飛び散った英文を、翻訳では、まるで文字を覚えたての小さい子が書いたような間違いだらけの文章に仕立て直している。稚拙な文章から語られるチャーリィとパン屋の同僚とのやり取り。他愛ない会話、ありふれた場面だと思っても読者が感じた違和感に、手術で頭が良くなったチャーリィも気付きはじめる。
友達だと思っていた人たち、自分に優しくしてくれていた人たちの会話を思い出しては、言われた言葉の本当の意味を知り、自分が馬鹿にされ、笑われていたことを理解する。
始まりから終わりにかけて、チャーリィが書く経過報告は稚拙で、賢く、ときに傲慢で、そしてまた間違いが増えていく。徐々に人より賢くなっていく頭で、今まで当たり前にあった毎日や過去の母親との出来事をはっきりと認識したとき、チャーリィは何を思ったのか。変わりゆく自分を、教授や同僚たち、キニアン先生はどう受け止めてくれたのか。人と人、親と子の移ろいゆく心を描いた物語。
どうかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください。