【第12回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『サハマンション』チョ ナムジュ/筑摩書房
抵抗を書く作家としてのチョ・ナムジュ『サハマンション』
「タウン」。正体不明の総理団によって統制された異常な都市国家。住民間には明確な格差があり、最下層に位置するのは、タウンの外で罪を犯したなど、どうにもならない理由で、住民資格もなく、最底辺の仕事をしながら、タウンに生きる人々だ。そんな人々が集うサハマンションを舞台にした群像劇――というあらすじから、「チョ・ナムジュ『らしく』ないな」と思う人は少なからずいるのではないかと思う。チョ・ナムジュと言えば、世界中で大ヒットした、女性が女性であるがゆえに直面する困難を告発する「82年生まれ、キム・ジヨン」や、そんな困難を前にしても黙らず声を上げる女性たちを描く「彼女の名前は」、少女たちの時にあやうい友情を描いた「ミカンの味」と、一貫して女性を主人公にして、フェミニズムをテーマにした作品を書き続けてきた作家、というイメージがあると思う。架空のディストピアを舞台にした「サハマンション」は、では「らしく」ない小説なのかと言うと、それは違う。
たとえば、この一節だ。「サハマンションで生まれ育ったサラにとって、世の中とはぴったりそれだけの大きさであり、それだけの光と質感、それと同程度の難易度を持つものだった。だが最近のサラには、その向こうの世の中が見えてきた。今まで当然だと思ってきた多くのことに腹が立ち、悔しかった」(P83)。「サハマンション」を「現代社会」に置き換えるだけで、そこにはジヨンの姿が、「彼女の名前は」で世の理不尽に声を上げる女性たちの姿が、見えてこないだろうか。今まで当然だと思って受け入れてきたこと、けれど実は当然ではなく、怒っていいはずのこと。チョ・ナムジュはそういうことに抵抗する女性たちを、これまで書き続けてきたのではないか。そういう意味で本書「サハマンション」は、その結末に至るまで、実はとても「チョ・ナムジュ『らしい』」小説だ。世界には理不尽が蔓延し、社会構造を覆すことはとても難しい。私たちが声を上げたところで、世界を変えることはできないのかもしれない。それでも私たちは抵抗することはできる。その力が私たちにはある。彼女の小説はいつもそう教えてくれる。