【第10回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『女たちのニューヨーク』エリザベス・ギルバート/早川書房
「家族」という言葉を書き直す 『女たちのニューヨーク』
この物語は、二〇一〇年に「わたし」が「アンジェラ」に向けて一九四〇年に始まる自分の若かりし日々を語る、という形式で進む。一九四〇年、十九才の「わたし」、ヴィヴィアンは大学を放校になって、ニューヨークで貧乏な劇場を経営する叔母に預けられることになる。美しいショーガールや叔母の夫である劇作家、戦争のために母国イギリスに戻れなくなってしまった名女優らとの交流、そして……。
そんなふうに物語は進む。ちいさな謎をはらみながら。それは、「わたし」が主人公ヴィヴィアンであることは明らかだが、「アンジェラ」が何者なのかが見えてこないからだ。最初のページで「アンジェラ」はヴィヴィアンが自分の父親にとってどういう存在だったのか知りたがっていることが明かされる。では、「アンジェラ」の父親は誰で、どのような形でヴィヴィアンの物語に登場するのか。これがなかなか明かされない。
それがとうとう明かされ、ヴィヴィアンと彼の物語が語られる時、私たちが目にするのは一風変わった、けれど確かに「愛」の物語だ。
思えばこの物語は、そういう愛にあふれている。
奔放なヴィヴィアンは古き良き時代のまともな人びとである両親や兄に理解されない。かわりに両腕を広げて彼女を受け入れたのは、叔母ペグであり、劇場の仲間たちだった。自ら選び取った人びとを愛し、家族として、ヴィヴィアンは自由を手に入れ自分の人生を生きていく。「血の繋がった家族は何よりも尊い」「愛しあう者同士は結婚すべきだ」――そんな、長きに渡って信じられてきて、少なくない人を傷つけてきた常識など、作中のヴィヴィアンの言葉を借りれば「なんにも意味してない」。ヴィヴィアンとアンジェラの父の関係は、そういった常識を置き去りにしたものだ。社会には理解されないだろう、世界にたった一つの物語だ。
人と人との繋がりは、それでいい。一人と一人の間に築かれる、他のどこにもない関係であっていい。ある人をあなたが家族と呼ぶなら、その人はあなたの家族だ。「なんにも意味してない」家族という言葉を壊して、このうえなく優しくいとおしい言葉に作り変える、これはそういう物語である。
今回ご紹介した書籍
エリザベス・ギルバート・著
那波かおり・訳
早川書房