【第49回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『異能機関』スティーヴン・キング/文藝春秋
必要ないものの豊かさ 『異能機関』
来年デビュー五十周年を迎えるスティーヴン・キングの邦訳最新作『異能機関』が発売された。デビュー作『キャリー』以来、毎年のように重厚な作品を世に放ってきたキングだが、本作もまた読み応えのある一作である。
ストーリーはこうだ。十二歳の少年ルークは、才能に恵まれた子どもたちのための学校に通い、一流大学にも入学が内定している。しかし彼にはその天才的な頭脳とは別に、もう一つの才能があった。時々小さなものをふれずに動かすことができるのだ。それほど重要視していなかったその力はしかし、ルークの運命を大きく変えてしまう。
単行本上下巻、合わせて実に七百ページ以上に及ぶこの物語は、興味深いことに、ルーク少年から始まるのではない。読者がまず放り込まれるのは、離陸の遅れた飛行機の中だ。その飛行機にはティムという男が乗っている。どうしてもこの飛行機に乗らなくてはならない人物がいたため、航空会社は乗客たちに、席を譲ってくれるよう頼む。ティムは衝動的にその申し出を受ける。
そして続くのは、乗るはずだった飛行機を降りた後、ティムがヒッチハイクをしながら旅をする場面だ。さすらいの旅の果てに、デュプレイというさびれた町にたどり着いたティムは、そこでひとまず落ち着くことにする。物語がもう少し先に進むまで、ティムの物語とルークの物語がどのような形で交差するのかはわからない。
しかし、たぶんもっと興味深いのは、二つの物語が交差した後になっても、この本がこのように始まる理由がないように思われることだ。ティムという人物は、別にデュプレイにもともと住んでいる誰かであってもいい。乗るはずだった飛行機の席を譲りヒッチハイクの旅をしてデュプレイに流れ着いた。その部分は必要か・必要でないかを言えば、おそらくは必要ない。ティムが登場するのは、たぶんもっと後のほう――そう、まさに二つの物語が交差するその瞬間であってもいい。そこではじめて姿を見せるのでもよかったはずなのだ。
それにもかかわらず、キングはこの飛行機の場面から物語を語り始める。そうして語られた物語を読んだ後、どうにもこれ以外の形でこの物語が始まることなどありえないような気がしてくる。飛行機、ヒッチハイク、さすらいの旅。これらの要素は「物語」には必要がないのだろう。しかし「キングの物語」には必要なのだ。思うに、キングの物語を豊かなものにしているのは、この差だ。必要がなくとも、キングが書かずにいられなかったもの。
だからこそのこのボリュームであり、だからこそこのボリュームを読むことは苦ではない。キングの物語を好きな人は、きっとこの豊かさを愛しているに違いないのだから。