【第33回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『すべての月、すべての年 ルシア・ベルリン作品集』ルシア・ベルリン /講談社
鮮やかに思い出すように『すべての月、すべての年』
本書『すべての月、すべての年』を、ゆっくりと、噛み締めるように読んだ。二〇一九年に刊行されるやたちまち読書界で大きな反響を呼んだ『掃除婦のための手引き書』に続く、日本語で読める二冊目のルシア・ベルリン作品集である本書の刊行を待ちかねたという人は多いだろう。読み終わった後、いいものを読んだと思い、人にすすめたくなり、そしてふと、言葉を失った。この作品集に収められた短編の数々は、あらすじを紹介すればそのよさが伝わる、といったたぐいのものではない。ではその「よさ」とは何なのだろう。ルシア・ベルリンの書くものの何が、こんなにも人を惹きつけるのだろう。それを人に伝わるように言葉を連ねるとしたら、どうなるだろう。
その魅力の少なくとも一部は、ルシア・ベルリンが描く人だ、と言えるかもしれない。ルシア・ベルリンの作品には、いつも人がいる。もちろん彼女の作品に限らず、たいていの小説には人間が登場する。しかし書き手によって、その人間は簡単に、ステレオタイプの範囲内の、深みにかける、いかにも作りものめいた存在になりかねない。しかし、ルシア・ベルリンの作品に登場する人々は、今にもその手を握ることができそうなリアルさをもって小説内に存在する。語り手が電話で話しただけで気に入ってしまった便利屋のB・Fや、いつも一緒のアル中老人四人組、幼い恋の相手ケンチュリーヴ、誰もかれもが心とらわれる不思議な女性メリーナ……本書に登場する様々な人間たちを、まるで昔知っていた誰かのようにルシア・ベルリンは書く。彼女の作品の多くは彼女の実人生から生まれたものとだと言う。だから本当に、これらの登場人物たちは彼女にとって、かつて知っていた誰かだったのかもしれない。しかし、はたして彼女のように鮮烈に、「かつて知っていた誰か」を文章におこすことのできる人がいるだろうか。たとえば「笑ってみせてよ」の一節にこうある。
彼女が膝にもたれかかると彼はほっそりした指で彼女の喉を支え、もう片方の手でビールを飲んだ。
あの光景を私は一生忘れないだろう。彼は彼女の喉を支えていた。二人は仲むつまじくもよそよそしくもせず、性的どころか愛情を示すそぶりさえ一切見せなかった。なのに二人の親密さは痛いほど伝わってきた。彼は彼女の喉を支えていた。所有物扱いしているのではない。一つにつながっているのだ。(p.271)
ここに描かれているのは、ルシア・ベルリン自身を思わせる「彼女」と「彼」のふたりがどのような関係であったかだ。ふたりのつながりは、この文章を読んでいる時、読者の眼前でよみがえる。かつて確かにそこにあったふたりを、そのつながりの深さを、ルシア・ベルリンはこんなにも鮮やかに思い出す、あるいは、鮮やかに思い出すように書く。そうだ、恐らくはそれこそが彼女を特別な作家にしている要素だ――それが本当に起こったことにせよ、起こらなかったことにせよ、彼女は自分が体験したことを、かつて知っていた人を、鮮やかに思い出すように書いているのだ。だから彼女の小説の中の人はあなたの隣りにいる誰かのようで、その誰かのため、あなたは時に心を引き裂かれるような思いをすることになる。
ルシア・ベルリンは生涯で七十六編の短編を書いたという。『掃除婦のための手引き書』『すべての月、すべての年』に収録されているのは全部で四十三編だ。ひとつひとつが一風変わった輝きを放つ宝石のような彼女の作品が集められ、三冊目の作品集が編まれるのが今から待ち遠しい。