【第31回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『時間のかかる彫刻』シオドア・スタージョン/東京創元社
来たる世代への祈り『時間のかかる彫刻』
『時間のかかる彫刻』。原題は”STURGEON IS ALIVE AND WELL…”つまり『スタージョンは健在なり』(これは本書の邦訳が最初に刊行された時の邦題でもある)。ここに収められている短編は主に一九六九年に執筆されたもの(「ここに、そしてイーゼルに」のみ一九五四年初出)であり、「時間のかかる彫刻」のようなSF作品もあれば、「ジョリー、食い違う」「きみなんだ!」のような普通小説もある。「<ない>のだった――本当だ!」(以下「<ない>」のような、馬鹿馬鹿しいアイデアで突っ走る気の抜けたユーモア編も。実にバラエティに富んだラインナップである。ここではその中からいくつかの作品を繋げてみたい。
たとえばほろ苦い「茶色の靴」は、あるとてつもないアイデアを思いついてしまった男が、そのアイデアを使って世界によい変化をもたらすが、引き換えに愛を失う姿を描いている。実は一見全く違う「<ない>」は「とてつもない変化をもたらせるアイデア」を扱っているという点では「茶色の靴」と同じである(しかし主人公がよりにもよってトイレで思いついたそのアイデアというのがアレなので、シリアスになりようがない)。そして「茶色の靴」のメンシュも「<ない>」のヘンリー・メウも、そのアイデアで自分が富を築こう、何らかの利益を得よう、とはしない。二人の目的はあくまで世界がそのアイデアによってよりよくなることだ。「時間のかかる彫刻」を執筆していた頃に生まれたという息子や、その他の子どもたちのこと、その子たちの未来、自分たちの世代が何を残すべきなのか――そんな思いが、これらの短編を書いている時のスタージョンの頭にはあったのだろうか。
ごく短期間で書き上げられたという本書に「自殺」と「箱」という、生と死に想いを馳せる名編があることにも目を向けたい。前者で飛び降り自殺を試みた男が最後に出す答えは、後者で子どもたちが運ぶ箱に詰まった「世界一、いや宇宙一の宝物」にきっと通じている。身近にいる幼子の未来に捧げられた、それはスタージョンの祈りであったのかもしれない。