【第20回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『クジオのさかな会計士』ジャンニ・ロダーリ/講談社
そのことばに込められた祈り『クジオのさかな会計士』
ジャンニ・ロダーリ作「パパの電話を待ちながら」「緑の髪のパオリーノ」「クジオのさかな会計士」(いずれも講談社文庫版)の三冊を並べてみる。いずれも荒井良二氏の手になる色鮮やかなイラストに彩られたその表紙を見ていてふと思い浮かぶのは、フェスティバル、ということばだ。フェスティバル、すなわちお祭り。ロダーリの本はいつもちいさなお祭りを連れてくる。
ページをめくると、そこにはもはや、楽しさしかない。フェスティバルにはつきもののジェラートを食べるよろこびを書いた一編があり(その名も「ジェラート」という)、ハンマー使いの双子の兄弟のいる家にうっかりドロボウに入ってしまった不運なドロボウの話があり、そしてたくさんのみじかい歌がある。独特のおかしみと、あふれんばかりの優しさに満ちた言葉で綴られたそれらは、読者にお祭りの楽しさを与えてくれる。そして本を置いた時に、お祭りが終わった後のような、いくばくかの寂しさを。
しかしお祭りが終わった後でもお祭りを楽しんだ記憶が消えないように、ロダーリの本を読んで楽しかった記憶も、本を置いた後でも消えてなくなりはしない。いくつかの言葉は特に、あなたと共にいてくれる。
たとえば、読後、私についてきてくれたのは、こんな言葉だった。
「長い旅路です。でも私たちは、/一丸となった乗組員です。/手を取り合えば、/きっとよい旅になるでしょう」(本書p.120)
「宇宙船」というごく短い詩にあるこの言葉は、「パパの電話を待ちながら」の訳者あとがきにある「本書の<パパ>である、このセールスマンの<ビアンキさん>は、ロダーリの幼い頃からの親友の名前でもある。親友アントニオ・ビアンキは、若くして戦争で死んでしまった」(「パパの電話を待ちながら」p.201)というくだりを思い出させる。これを念頭に置いて「宇宙船」を読むと、聞こえてこないだろうか。ロダーリがこのことばに込めた祈りが。それは子どもたちに向けた、ごくやさしいことばだ。けれどもとても切実な祈りの込められたことばなのだ。