【第16回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『地上で僕らはつかの間きらめく』オーシャン・ヴオン/新潮社
詩人が小説を書く時
『地上で僕らはつかの間きらめく』
詩人は時々小説を書く。そして詩人が書いた小説は、たいていの場合、詩に似ている。そしてそのような小説についての文章はたいてい書きにくい。この小説がまさにそうだ。
本を選ぶ時、あなたは何を決め手にするだろうか。著者? タイトル?
この本の著者、オーシャン・ヴオンの名前を知っているならあなたは、きっと英語圏で話題の本のニュースを英語で追いかけている人だろう。そうでないかぎり、あなたにとってオーシャン・ヴオンは初めて見る名前であるはずだ。日本で彼の本の翻訳が出るのはこれが初めてだから。
しかし、知らない著者の手になる本であっても、「地上で僕らはつかの間きらめく」というタイトルは美しく、独特だ。あなたの目を惹くかもしれない。
本を手に取ったあなたは、まずはぱらぱらとページをめくりところどころ文章を読んでみる。私ならそうする。私の場合、この本を読む決め手になったのはまちがいなくこの作業だった。
「僕がこうして書いているのは、“だって”を文の書き出しで使ってはいけないと教わったからだ。でも、僕は文を書こうとしていたわけじゃない――ただ自由になろうとしていたんだ。だって自由というのは要するに、ハンター狩人と獲物との間にある距離でしかないから」
本文の二ページ目にあるこの文章にまずは心をとらわれた。自由というものを的確に言い換えるこの詩人らしい言葉の使い方に、この作家の書く文章をもっと読んでいたい、と思ったのだ。
あるいは、あなたの心をとらえるのは以下の言葉のいずれかかもしれない。
「もしも母さんが神様なら、二人に手拍子をやめろと言うだろう。空っぽの手を意味のあることに使いたいなら、何かにしがみつくのがいちばんだと言うだろう。でも、母さんは神様じゃない」
「だって、自分の美しさを初めて知った日のことをどうして忘れられるだろう?」
「愛してる、愛してない。そう言いながら、花から一枚ずつ花びらをちぎるのだと僕らは教わる。つまり愛は、喪失に寄って到達すべきものだということ」
もちろんオーシャン・ヴオンはここに挙げた以外にも印象に残る文章をいくつも連ねてこの小説を書いている。あなたの心の琴線に触れる言葉を探しに、まずは手に取ってページをめくってほしい。これはそんな一冊だ。
今回ご紹介した書籍
オーシャン・ヴオン・著
木原 善彦・訳
新潮社