【第14回】コンシェルジュ河出の世界文学よこんにちは『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』サリー・ルーニー/早川書房
その小説はどう書かれているか 『カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ』
あなたはある時、ある場所にいる。たとえばパーティ。たとえば卒業式。たとえばなんてことのない一日、いつものように何気なく歩いていた学校の廊下。そして何らかの理由で、あなたがその場所にいたそのひとときは、あなたにとって特別な、忘れられない時間になる。しかし後であなたがその時のことを人に伝えようとしても――または、自分のために文章に書き起こそうとしても――言葉に置き換えたその時間は、決してあなたが実際に体験した時間と同じではない。どんなに正確に、正直に、言葉にしようとしてみても、あなたがその時体験したことは、きっと百分の一もその言葉の中には存在しない。
小説を読んでいて、時々そういう体験をすることがある。感想は? と訊かれれば「よかった」と答えるほかはない。しかしどこがどうよかったのかを訊かれれば、読んで下さいと言うしかない。「カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ」はそういう小説だ。
なぜこういうことが起こるのだろう、と考えてみる。たとえば主人公が波乱万丈の運命に翻弄される、とか、密室殺人の謎を解く、とか、そういう小説であれば、きっと記憶に残るのは何が書かれているか、だろう。けれど恐らく、「カンバセーションズ・ウィズ・フレンズ」のような小説は違う。主人公が妻のある男性と恋に落ち、などとこの本のあらすじをとりあえずまとめてみることはできる。しかし、恐らくはそこにこの種の小説の魅力はない。この種の小説の魅力は何が書かれているか、ではなく、どう書かれているか、なのだ。
「私はニックを好きだけど、彼はそれを知らなくていい」(P144)
「彼を部屋に入れ、私たちは数秒間見つめ合ったが、冷たい水を飲み干しているかのようだった」(P234)
このように、文章を抜き出してみれば、一端でも私の言いたいことが伝わるだろうか。著者がまちがいなく特別な文章を書く作家であるということが、人の心の動きを敏感に捉えて言葉に写し取ることのできる作家であるということが、そしてもちろん、この小説をぜひ読むべきだということが。
私の書いているこの文章は、きっとCDについてくるライナーノーツのようなものだ。それをどんなに読んだところで、CDに収録された音楽の素晴らしさはあなたには伝わらない。まずするべきは、CDをプレイヤーに入れて、再生ボタンを押すことだ。音楽を聞き、それからライナーノーツを開くのだ。この小説を読み終わった後なら、たぶんあなたには私の言っていることがわかるかもしれない。
今回ご紹介した書籍
サリー・ルーニー・著
山崎 まどか・訳
早川書房