【イベントレポート】「日本相撲史」復刊記念 芝田山親方トークショー【後半】
―「とにかく勝たなきゃいけない」現役時代の胸中を語る
古代から大正までの相撲の歴史を網羅した『日本相撲史』が、この度、銀座 蔦屋書店限定で復刊いたしました。復刊を記念し、2017年9月5日に開催されたトークショーのレポートを2回にわけてお送りします。
ゲストは第62代横綱・大乃国(おおのくに)、芝田山(しばたやま)親方と、相撲博物館学芸員の土屋喜敬(つちや よしたか)さん、そして、文化放送アナウンサーの寺島尚正(てらしま なおまさ)さんにお越しいただきました。
イベントレポート後半では、芝田山親方の山あり谷ありの相撲人生についてお送りします。
ゲストは第62代横綱・大乃国(おおのくに)、芝田山(しばたやま)親方と、相撲博物館学芸員の土屋喜敬(つちや よしたか)さん、そして、文化放送アナウンサーの寺島尚正(てらしま なおまさ)さんにお越しいただきました。
イベントレポート後半では、芝田山親方の山あり谷ありの相撲人生についてお送りします。
>>イベントレポート前半はこちら
イベント参加者のサインに応じる芝田山親方
人の思いがけないことをするのが、大乃国の相撲人生
寺島 そして、昭和60年秋場所、大関に昇進ですよね。62年夏場所千秋楽、今の日本相撲協会理事長の北勝海(ほくとうみ)に勝って、15戦全勝。今も全勝ってそうそういないじゃないですか。難しいことですよね。
芝田山 まあ、白鳳(はくほう)もやってますけどね。私はたった2回しか優勝してないんですけど、人の思いがけないことをするのが自分の相撲人生かなって思っています。この全勝優勝っていうのも私自身の大きな勲章ですし、2回目の横綱、3場所目にしてもう引退じゃないかと言われたときの逆転優勝も大きな勲章です。3横綱倒したこともそうです。
横綱になるときの3場所の成績が40勝、その時点では私が一番だったんですけど、その後に貴乃花が41勝あげました。千代の富士(ちよのふじ)さんの53連勝を止めたときも、誰しもが千代の富士さんが絶対勝つという風に思っていたかもしれませんが、秘策を持って臨んで勝ったわけです。
自分には優勝なんか関係なくても、ここ一番で力を出すっていうのが大乃国だったのかな、と思っています。だから、今の相撲は、「ここ一番で力を出せよ」って思うところでなかなか力を出せないお相撲さんがいっぱいいて、歯がゆい思いをしながら見ています。
寺島 今はどうですか? やっぱり、自分が現役だったら、「俺だったらこうする」みたいな目でご覧になっているんですか?
芝田山 いやあ、自分と重ね合わせたらいけないのかもしれませんけれど。相撲っていうのは、また他のスポーツと違うもんですからね。自分の中に、「こうじゃなきゃいけない」っていう持論があるわけですよ。
しかしながら、現代において、それぞれの力士の持ち合わせている基礎体力が、我々の時代とは大きく違ってきているんです。たしかに学生相撲さんから入って、2場所くらいでぽんぽんと重量が上がっていくかもしれません。スピードスピードと言うけど、それでは全然、分野に入っていかないと私は思ってます。
全国の学生の相撲大会とか、メジャーなところに出てきた人たちがいっぱいいる中で、私なんか相撲をなんにも知らずに、全くの無印状態でこの社会に入って、それでここまでやってきたわけですしね。
寺島 親方はもともとは柔道をやっていて、それから人数が足りないって砲丸投げをやって優勝して、それでスポーツ推薦までもらっていました。しかし、柔道では飯が食えないというアドバイスがあって、そして……。
芝田山 東京見物に行ってね、いろんなものをもらっちゃったんですよ。
寺島 え、それ、食べちゃったってことですか?
芝田山 食べちゃったし、もらったしね。
寺島 で、まじめだったからね。それで消えることができなかったんだ。
芝田山 「これは行くしかないな」って思ってね。
「とにかく勝たなきゃいけない」 24時間、付きまとう苦しみ
寺島 さて、話をもとに戻しますと、15戦全勝した翌場所、名古屋場所は12勝、ここは横綱昇進見送り。その次の秋場所、13勝あげて、先ほどの40勝ですよね。文句なしで横綱に昇進しました。昭和62年九州場所、これが8勝7敗だったんですね。
芝田山 そうなんですよ。
寺島 関脇時代、とにかく上と当たりたい、向かうところ敵なしという気持ちだったとしても、大関となると「負けられない」っていう気持ちもありますよね。
芝田山 もちろん、大関になったらもう優勝しかないということですよね。まあそんな中で、やはり、勝たなきゃいけないという気持ちが先に立ってしまう。ですから、今、稀勢の里くんが苦しんでいると思いますけどね。上に立てば、とにかく勝たなきゃいけないんだと。
昔は先ほど土屋くんが言ったとおり、大関っていうのが最高位で、その中で別格の力を持っているのが横綱という称号を与えられたということですから、「大関はとにかく勝って当たり前だ」と思われていました。最近の大関は角番が多いんですけど、自慢じゃないけど、私は角番ないんですよ。
寺島 大関時代はずっと勝ち越しですからね。
芝田山 とにかく勝たなきゃいけないっていう責任の重さとともにやってきたわけですけれど、やはり人間ですからね、朝起きて、「今日はいいな」っていう日と、「今日はなんかちょっと体が重いな」「頭が重いな」という日もありますよね。
15日間、充実させるっていうのは非常に難しいことです。横綱とか大関とかっていうのは、体のどこどこがいいとか悪いとかじゃないんですよ。もう、横綱、大関になったら、精神力で戦うしかないんだと私は思ってます。
寺島 大関時代があり、そして、横綱になった。大関と横綱では、気持ちの上でものすごく差があるんですか?
芝田山 こう言ったらあれですけど、大関はまだ、2場所負け越したら関脇に落ちる手があるわけですよね。だけど、横綱というのは神様の位ですから、神様が下に落ちるということは絶対にないんですよ。
どういうことかと言うと、横綱と大関、二人を崖っぷちに立たせて、「あなた、成績悪いから前に進みなさい」と言われたときは、横綱は崖から飛び落りないといけない。しかし、大関は「やだよ」って振り返って後ろに帰ってこれる。そのぐらいの違いがあるんですよ。
「横綱は休めるからいいな」なんていう人がいるんですけれども、それはとんでもない話で、土俵から離れることほど不安が募ることはないんです。私も4場所連続休場とかやっていますけれどね、本場所の土俵から離れるほど不安なことはない。
休場すると、次の土俵に上がるときには、本当に足が震えます。そういうそぶりは一切見せませんけれども、心の中ではね。相手じゃないんですよ、自分との葛藤なんですよね。
寺島 やっぱり、「負けちゃいけない」っていうのは24時間、付きまとうんですか。
芝田山 いやあ、それはもうね。世の企業のオーナーがですよ、「常に売り上げを上げとかなければいけないんだ、さもなければもう終わりなんだよ」と言われたらですね、そりゃあもう、夜も寝られんですよね。
「パンダ」から「ブロイラー」に 人生、浮いたり沈んだり
寺島 そういう思いでいたわけですよね。さて、横綱になりました。横綱で8勝7敗、まずは九州場所をクリアしました。まあ、クリアと言っても8勝7敗で、横綱というのはとにかく優勝あるのみですから、このときも残念ながら結構、言われましたよね。
芝田山 本当に、矢の嵐みたいなもんですよね。
寺島 親方は、「横綱の世界を変える」みたいな期待もされてましたからね。
芝田山 いろんなことを言われましたよね。いいこともいっぱい言われましたけれども、なかなか成績が上がらずに、周りからブロイラーと言われたこともありますしね。
寺島 それまではねえ、パンダだったのに。動物を変えてどうすんだみたいなね。
芝田山 ブロイラーは食肉だから、そうなればいいんですけど、そういうわけにもいきませんしね。穴があったら入りたいなと思っても、穴もちょっと大きめの穴を掘らなきゃいけないし、それがなかなかむずかしいもんでね。
寺島 ええ。今、笑っていいのか悪いのか、非常にみなさんも苦しんだことかと思います。
芝田山 もう、今だから笑い話で十分なんですよ。でもね、成績のいい優秀な人が優秀な話ばっかりしたってつまらんですよ。人生、浮いたり沈んだり、浮いたり沈んだりですから。沈んだり沈んだり沈んだりの人もいますけど、そこでまた浮く人がいる。ま、浮いてばっかりの人はいませんからね。
私みたいな、こんなとこだからいいんですよ。庶民的な話ができる。皆さんどうか知らないけれど、膝を突き合わせて、「私は何十回優勝しました、何番勝ちました」と言ったって、「ああ、そうですか、すごいですね」で終わっちゃうんですよ。でも、人生にこういう浮き沈みがあるから、話ができるんです。
寺島 誰かいい話する人はいないかっていうときは、みなさん、ぜひ、芝田山親方を推薦しておいてくださいね。そして、翌場所、63年初場所で、肝機能障害。休場して、3場所目に進退を懸けることになった。そしてこの後、63年の春場所、2度目の幕内優勝を果たします。
芝田山 横綱になって3場所目、初日から3日目で、1勝2敗なんですよ。4日目の新聞には、「横綱大乃国、3場所目にして引退」って出ちゃってね。それこそ、本当に穴があったら入りたい、逃げれるんだったら逃げたい。でも、どこにも逃げようがないですから。
そのときは、周りの人から白い目で見られているとしか思えなかった。マスコミの人たちは、いい人も悪い人もみーんな悪い人に見える。全員、自分の敵に見える。「自分はなにか犯罪でも犯したのか」みたいな風になるんですよね。よく鬱にならなかったなあと思います。
だけど、自分の親兄弟、おじさん、おばさんたちは心配してるんだろうな、と思ったときに、「よし、今日負けてもいいじゃないか。負けたって命まで持ってかれないわ」と。
支度部屋に行ったら次の日の取り組み表が置いてあるんですよ。だけど、それはそれとして、今日持ってる力を今日全部出し切って、翌日はまた、その日の新しい力を使おうと。そう思ってから、勝ち出しましてね。
ずーっと練習をして、14日目に12勝2敗、で、千秋楽。13勝1敗の北勝海と当たって、本割で勝って、そして、優勝決定戦で勝ち、逆転優勝したということなんです。
誰と当たっても勝つのみ
寺島 以前の15戦全勝のときも北勝海に勝っていますよね。今回も優勝したときに北勝海に勝ちました。本割で勝って、同点決勝で勝ってる。今、北勝海は日本相撲協会理事長ですけども、そういう会話ってあるんですか?
芝田山 いや、そんなにしたことはありませんね。
寺島 「あのとき、親方2回も勝っちゃって」みたいなことは言われないですか?
芝田山 まあ、理事長はそういう思いがあるみたいですけれど、私はあんまりこだわりがないんですよね。たとえば、最近、30何年ぶりくらいに突然、電話してきた人がいまして。中学校3年生のときに、函館で全国中学生柔道大会が行われたんです。そのときに、「俺のおかずをおまえが食った」って言うんですよ。私は、「ああ、そうですか。それは申し訳なかったですね」って言ったんですよ。
(会場 笑い)
芝田山 世界柔道選手権で優勝した須貝(すがい)選手も、自分のことをマークしてたらしいんですけどね。だから、言ったんですよ。「私は北海道のどこどこに、こんな強いやつがいるとか、そんなこと欠片も思ったことない」と。だって、「自分が勝てばいいんでしょ」としか思ってなかったんだから。
この社会に入っても、番付も取り組みも審判部が決める。「次に誰と当たる」とか、そんなことは考えず、「当たれば誰と当たったって十分じゃないか」としか思ったことがないんですよね。だから、そういうことにこだわったことが1回もないんですよ。まあ、馬鹿といえば馬鹿かもしれませんけれど。
だから、今言われたように、「2回勝ってどうでしたか」って言われても、「うーん、別に」っていうような状況でね。まあ、負けたら自分の責任だから仕方ないじゃないかという風には思ってますけれど。
なんとしても、負けて一番嫌なのは、部屋に帰って親方に挨拶するとき。もう、これが嫌でね。国技館から部屋に帰る道で、「もう30分くらいかかんねえかな」って思ったくらいでね。
部屋の親方に挨拶するときは、勝っても負けても必ず言われる。「おまえの相撲は見たらねえな」って言われて、たまにいい相撲をとると、やっと、「今日はちょっとは見れる相撲とれたな」なんて言われましてね。負けたらボロクソですからね。そんな日々でした。
寺島 さあ、そして二度目の幕内優勝を果たしました。その後ぐらいから、千代の富士の連勝が始まるんですね。そこから、何度も相まみえる横綱大乃国ではあったんですけれども、残念ながら、大乃国はなかなか千代の富士に勝てなかったと。
芝田山 そうなんですよね。なぜ勝てなかったかというのは、今、分析するとよく分かるんですよ。千代の富士さんの立ち合いに全部、合わせてた。53連勝をストップさせたときに、初めて自分の立ち合いができた。
腰をしっかり決めて、手を突いて立つのが自分の相撲であるのに関わらず、相手がぱっと立つのに自分も全部、合わせて立ってたというね。簡単に言えば、「写真撮りますよ」っていうときに、フラッシュと同時に瞬きをするのと同じような感覚です。
千代の富士に連勝させた責任…… 大乃国が締めた、昭和最後の相撲
寺島 でも、そこから時がめぐってくるわけですね。忘れもしません。あれが昭和最後の相撲ですよね。昭和63年11月27日、千秋楽。ここの大一番。その前の晩に、放駒(はなれごま)親方から、言われたんですよね。
芝田山 前の日の夜、師匠が後援者とご飯を食べていて、私も隣で食べていたら、「明日、今のおまえじゃどうせ勝てねえんだから」って言われましてね。思わずご飯がつかえて、喉を通らなくなりましてね。
通らないどころか、食ってられませんよね。もう、さっとかき込んでさっと立ち上がって、「どうも」って言って部屋に行きました。部屋で、「とにかく明日は絶対なんとかしないといけない」と。
私は、「なんとかしなきゃいけない」って思っていただけなんですよ。ただ、部屋の師匠はなにを思っていたかというと、明日負けた次の千秋楽は、双葉山(ふたばやま)と並んじゃうから、なんとしても勝たなきゃいけない。
そういう計算が師匠の頭の中にちゃんと出来てたっていうのを後で聞いて、「ああ、恐ろしい話だ」と。あのとき聞いてたら、もしかしたら、負けてたかも分からない。それに震えちゃってね。
師匠は言わなかった。だけど、頭の中では、ちゃんと計算していた。やっぱり、部屋の師匠っていうのは、部屋の弟子の、先の先を読んでいるんだなと。まあ、そのときは優勝にはなんにも絡んでなかったので、そりゃあ、お客さんからすると、「大乃国、優勝に絡んでないのになんでおまえが勝つんだよ」って話になるかもしれませんけれど。
だけど、私自身は、あのとき勝ってよかったんですよ。あのときの映像を見ると、勝った自分の映像よりも周りのお客さんの反応を見てとうれしくなっちゃう。漫画じゃないけど、ばーんと、1mぐらいみなさんのお尻が跳び上がったみたいに見えたんですよね。
あのときの状況は今でも忘れられません。勝ったということよりも、昭和最後の一番を私が締めたということを誇りに思っています。ただ、そこまで千代の富士さんに連勝させてしまった大乃国に責任がある。
睡眠時無呼吸症候群、そして現役引退
寺島 さて、そして平成に入っていきます。平成に入ってくると、怪我だとか病気だとか、残念ながら、一生懸命がんばっている大乃国にもいろんなことが降りかかってきましたね。
芝田山 千秋楽、7勝7敗でね、最後、8敗しちゃったんです。ということは、横綱が負け越しをしたんです。昭和に入ってから2人か3人いるって話を聞いたんですけれども、今生きてる中では、私と3代目若乃花の二人ですから。これみなさん、貴重ですよ。絶滅危惧種なんで、二人いなくなったらもう引けませんから。
だって、あとの人はみんな休んじゃうからね。最後までとらんでしょ。横綱っていうのは、もちろん土俵に上がる責任があります。しかしながら、勝つ責任もあるし、そして、やはり土俵に上がる以上は、怪我をしっかり治し、精神的にしっかり整える責任もある。心身ともに充実して、土俵に上がってほしいなと思いますね。
寺島 横綱・大乃国はその後、今ではよく耳にする、「睡眠時無呼吸症候群」という病に悩まされて、そして28歳という若さで……。
芝田山 もう29歳になる手前だったんですよ。7月の名古屋場所。
寺島 大関の上の称号、横綱として、頂点を極めた。だけれども、自分の中ではまだまだ行けると思っていた最中。
芝田山 千代の富士(ちよのふじ)は体力の限界と言ってましたが、私は体力の限界ではないんですね。もう、精神力の消耗でしたね。
寺島 ということは、やはり、それだけ横綱というのは精神的にいろいろと大変だってことが分かりますよね。
芝田山 睡眠時無呼吸症候群。いろんな症状が出て、病院で検査してもらったら、そういった診断が出たと。でも、当時、世間ではまだ知られていない状況でして、その診断書を出したら、「なんだ、酸欠か」「酸素を吸えばいいんでしょ」みたいに言われましてね。
引退して何年後かに、新幹線の車掌が居眠りをして、「睡眠時無呼吸症候群」が世に出た。それで初めてみなさんに認識してもらって、取材を受けました。やっとそのとき、「横綱が勝てなかったら、夜も寝れんだろ」みたいことを言われました。
今、うちの弟子でも、3人も4人も呼吸器を使っていて、お相撲さんでも一般の人でもいっぱい使っている人がいます。今は保険がきくようになりましたけども、保険がきかない時代に1台30万するのを2台も3台も買いましたからね。
心臓に負担がかかって心不全を起こして、ぽっくり病になるかもしれない、恐ろしい病気ですから。あのままだったら、今頃、私はみなさんの前でお話していなかったかもしれない。
寺島 そろそろお時間ですが、いやあ、学芸員の土屋さん、お隣で芝田山親方の熱弁を聞いて、いかがでしたか?
土屋 親方には毎日お目にかかってるんですけれど、なかなかこういうお話ってお伺いすることがなかったんで、私も今日お集まりのみなさんと一緒に聞き入ってしまいました。どうもありがとうございます。
芝田山 いやいや。今日はですね、ほんとにこの本に対してのね……。
(会場 笑い)
芝田山 さっき見本があったんですけれども、これ手で触っていいのかなって思いましたよ。
寺島 白い手袋で触んなきゃいけないんじゃないかというぐらい。これはやっぱりおすすめの本ですね。
土屋 そうですね。相撲の歴史が詰まっています。
芝田山 これ1冊買えば、もう一生これで十分。他の本はいらないと思いますよ。
寺島 あと、土屋さんの本も売ってますからね。
(会場 笑い)
寺島 第62代横綱大乃国のお話、そして、日本相撲博物館の土屋喜敬学芸員の話を伺いました。もう、あっという間の時間でしたね、親方。
芝田山 あっという間でしたね。よく誰一人席を立たずに我慢していただきました。ありがとうございました。
寺島 今度はスイーツの話なんかもね。学芸員の土屋さんにもスイーツの勉強をしていただいて。
芝田山 またみなさん、来てくださいね。
寺島 みなさん、どうもありがとうございました。
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いかがでしたか? 相撲の歴史から芝田山親方の現役時代の胸中まで、ここでしか聞けない話が満載の充実した1時間半。私は実は相撲初心者でしたが、芝田山親方のお話は人生の教訓として胸に響きました。
芝田山親方、土屋喜敬さん、寺島尚正さん、そして、イベントにお越しいただいたみなさま、ありがとうございました。次回はぜひ、芝田山親方のスイーツのお話も伺ってみたいですね。
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