【第39回】間室道子の本棚 『あたしたちよくやってる』 山内マリコ/幻冬舎
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『あたしたちよくやってる』
山内マリコ/幻冬舎
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人の話を聞いていて、ニュースを見ていて、時々「ん?」となる。なにか変だと思うのだけどよくわからない。そういうときは、その話題の男と女を入れ替えてみる。
たとえば、あるタレントさんが奥さんの葬式で「来世で出会えるとしたら旦那じゃなくて彼女の子供に生まれたい。出来が悪くても母親ならかわいがってくれるでしょ」と大泣きし、世間は感動したようだった。私はなんだか解せなかったので、男と女を入れ替えてみた。そして「最愛の夫に死なれた妻が“来世は彼の娘に生まれたい”と言うことはないよな」と思った。
日本の男は妻に自分のオフクロみたいな役割も求めがちで、それは時に「二重の愛」のようになる。一方妻は夫に自分の父になってほしいとは思わないし思っていたらなんだかイジョウ。なにこの片方は感動になるのに片方は気持ち悪い感じ。これってどうしたら公平になるんだろう?
あと、よくある「男が浮気をするのはしょうがない論争」。動物的に子孫を残したい本能があり、男はあちこちで種付けしたい。でもアソビであって最終的には帰巣本能で家族の元に帰ってくるので許してほしい、というやつ。そういう男にじゃあ奥さんも浮気していいよね、と問うと「いやほら、女は妊娠だけさせられて相手に逃げられちゃうと困るでしょ」という。突き詰めて考えると「自分はどこぞの人妻と浮気をし妊娠させるかもしれないが、逃げて帰ってくるので迎え入れて」ということになる。なにこの甘さ。
男女の入れ替え、まなざしの路線変更は、山内マリコさんの本で身についたことだ。彼女は「地方と都会の女」に始まり「男と女」「外国人と日本人」「若者と大人」「現在と未来」など、対比するものの視点を入れ替えることで浮上する狭い世界のおかしさ、常識と思っていたことの外での通用のしなさを描き続けてきた。
最新作は「ショートストーリー」「エッセイ」そして小説とも物語に姿を借りた思いの吐露とも取れる「スケッチ」で構成され、いろんな目線のチェンジで、私たちの息苦しさや押し殺しているものをあらわにしてくれる。
男社会の糾弾や、平等になればすべてOK路線でないのがいい。たとえば高級な鮨屋で中年男が魚と若い女についてセクハラ発言をする話がある。大将も大笑いしている。店内は中年男性と年下娘のペアばかりで主人公も若い女性だ。こういうのはどうすればフェアになるんだろう?店内が中年女性と若い男の組み合わせでいっぱいになればいいんだろうか。大将が女だったらいいんだろうか。
解決しないだろうと思うことって目をそらしがちだけど、本書に出て来るのは、まっすぐな問いかけをあきらめない33の女たち。女性も自分の中に「男の目」を知らず知らずに植え付けて「女はこうあれ」からはずれている者を蔑視をしてしまっているという気づきや、女性にとって生きにくい世の中は男性にだって生きにくいはず、というメッセージがいい。