【第304回】間室道子の本棚 『カフネ』阿部暁子/講談社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『カフネ』
阿部暁子/講談社
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読書番組で、この『カフネ』を「小説に出てくる絶品料理」という切り口で紹介していた。たしかに出てくる品々の描写がこまやかですばらしい。手にした器の温かさが伝わり、立ち上る匂いに身をゆだね、食材たちの彩りにうっとりし、最後に味が舌から全身に染みわたる、という極上の一皿で人々が癒される物語なのだ。でも、本書にはもう一つの顔がある。現代日本の女性たちの息苦しさを描いた、ばりばりシビアでリアルな作品なのである。
法務局に勤務する野宮薫子は現在一人暮らしの41歳。ものすごく優秀だが、町なかで赤ん坊や幼児を見るとある衝動にかられる、けっこうやばい人でもある。私生活はどん底で、順調を疑いもしない結婚生活だったのに突然夫から別れを告げられ、12歳年下の弟・春彦が急逝。職場で孤立気味になり、家はちらかり放題で、冷蔵庫の中にも問題がある。
で、なんやかんやがあり、薫子は生前の春彦に彼女だと紹介され、その後別れたと聞いていた小野寺せつなと手を組み、家事代行サービス会社「カフネ」の活動に加わる。せつなはそこで働いており、薫子は国家公務員なのでボランティアとしての参加だ。業務内容は、チケット制の二時間無料の炊事洗濯お掃除。いったんやりだせば清掃名人であった薫子にせつなが目をつけ、誘ったのだ。この亡き弟の元恋人もなかなかのくせもので、高身長、笑顔なし、口調強め、料理の腕は超一流。
本書に「家事に溺れる」という表現が出てくる。炊事や片づけは誰だって、その気になれば、時間さえあればできるでしょ、と思われている。でも足元を流れていたはずの家事の水流が、いつのまにか鼻の高さを超えている。身動きのみならず、息さえできない。それは「だらしなさのツケ」などではない。日常が、その人の気力を奪う状態になってしまっているのだ。
そして本書で暴かれるのは日本人の気質だ。われわれは人に「助けて」と言うのがとても苦手だし、勇気を出してSOSを発した人を「だらしない、弱い、甘い」と見なしてしまう。 作中に出てくるように、「家の中のことなのに、どうして自分でやらないのか」という目はまだある。だから薫子とせつなが訪れた家の人たちは多くが罪悪感を感じていて、ふたりに深々と頭を下げたり「こんなで状態で・・・本当に申し訳ない限りで」と謝ったりする。読んでいて切ない。
ほかにも、わが国の女たちの今をめぐるさまざまな問題が出てくる。不妊治療、ネグレクトの気配、夫の育児放棄、そして長女であること――。とくにこの最後ので、エグいシーンがある。一人息子の春彦が亡くなったあと、両親が薫子を見る目・・・。ぞわぞわが止まらない女性読者は多いはず!
でも、昔は「家の中のこと」であった「介護」や「引きこもり」「子どもの食事」などに地域や行政がかかわるのがふつうの時代になったし、本書には自治体がサービス事業として,一歳未満のいる家庭の家事支援に乗り出した例も登場する。作者が闇をえぐりながら光を逃さない感じがいい。
そして、本書のタイトルおよび家事代行会社の名前になっている「カフネ」。実はこれ、ポルトガル語で、ある愛の行動を表す。キスとかハグは「欲望にかられて」とか「衝動で」があるだろうけどカフネは無理。深いいつくしみがなければできない、心からの動作なのだ。これをラストで薫子がせつなにする。「とっさに」でも「ノリで」でもなく、さあどういう副詞的言葉が添えられているか。胸を打つシーンである。
私たちの閉塞感を打ち破る、女ふたりの未来を描いた斬新な作品。
法務局に勤務する野宮薫子は現在一人暮らしの41歳。ものすごく優秀だが、町なかで赤ん坊や幼児を見るとある衝動にかられる、けっこうやばい人でもある。私生活はどん底で、順調を疑いもしない結婚生活だったのに突然夫から別れを告げられ、12歳年下の弟・春彦が急逝。職場で孤立気味になり、家はちらかり放題で、冷蔵庫の中にも問題がある。
で、なんやかんやがあり、薫子は生前の春彦に彼女だと紹介され、その後別れたと聞いていた小野寺せつなと手を組み、家事代行サービス会社「カフネ」の活動に加わる。せつなはそこで働いており、薫子は国家公務員なのでボランティアとしての参加だ。業務内容は、チケット制の二時間無料の炊事洗濯お掃除。いったんやりだせば清掃名人であった薫子にせつなが目をつけ、誘ったのだ。この亡き弟の元恋人もなかなかのくせもので、高身長、笑顔なし、口調強め、料理の腕は超一流。
本書に「家事に溺れる」という表現が出てくる。炊事や片づけは誰だって、その気になれば、時間さえあればできるでしょ、と思われている。でも足元を流れていたはずの家事の水流が、いつのまにか鼻の高さを超えている。身動きのみならず、息さえできない。それは「だらしなさのツケ」などではない。日常が、その人の気力を奪う状態になってしまっているのだ。
そして本書で暴かれるのは日本人の気質だ。われわれは人に「助けて」と言うのがとても苦手だし、勇気を出してSOSを発した人を「だらしない、弱い、甘い」と見なしてしまう。 作中に出てくるように、「家の中のことなのに、どうして自分でやらないのか」という目はまだある。だから薫子とせつなが訪れた家の人たちは多くが罪悪感を感じていて、ふたりに深々と頭を下げたり「こんなで状態で・・・本当に申し訳ない限りで」と謝ったりする。読んでいて切ない。
ほかにも、わが国の女たちの今をめぐるさまざまな問題が出てくる。不妊治療、ネグレクトの気配、夫の育児放棄、そして長女であること――。とくにこの最後ので、エグいシーンがある。一人息子の春彦が亡くなったあと、両親が薫子を見る目・・・。ぞわぞわが止まらない女性読者は多いはず!
でも、昔は「家の中のこと」であった「介護」や「引きこもり」「子どもの食事」などに地域や行政がかかわるのがふつうの時代になったし、本書には自治体がサービス事業として,一歳未満のいる家庭の家事支援に乗り出した例も登場する。作者が闇をえぐりながら光を逃さない感じがいい。
そして、本書のタイトルおよび家事代行会社の名前になっている「カフネ」。実はこれ、ポルトガル語で、ある愛の行動を表す。キスとかハグは「欲望にかられて」とか「衝動で」があるだろうけどカフネは無理。深いいつくしみがなければできない、心からの動作なのだ。これをラストで薫子がせつなにする。「とっさに」でも「ノリで」でもなく、さあどういう副詞的言葉が添えられているか。胸を打つシーンである。
私たちの閉塞感を打ち破る、女ふたりの未来を描いた斬新な作品。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
ラジオ、TVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『Precious』、『Fino』に連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。