【第257回】間室道子の本棚 『なにごともなく、晴天。』吉田篤弘/中公文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
* * * * * * * *
『なにごともなく、晴天。』
吉田篤弘/中公文庫
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
※画像をクリックすると購入ページへ遷移します。
* * * * * * * *
巻末の「番号のついたあとがき」にあるように、本書のテーマのひとつは「引き継ぐ」である。
舞台は高架下の商店街で主人公の美子は三十二歳。二年前、とつぜん「これからは寝て暮らす」と宣言した古道具屋(線路を支える柱の番号8)の店主のむつ子さんに、バイトだった彼女があとをまかされた。その時から店の二階(正確には一・五階)の四畳半に住みついてもいる。
「受け継ぐ」でないところがいい。それだと重々しい感じ。「引き継ぐ」には部署変更や異動で、前任者がやってポジションに己がはまる、というシンプルさがあると思う。
たとえば美子の友だち・サキのお店(柱は26番)は、父親がやっていたときはインチキくさい海外の菓子を専門に売っていたが、そのあとメイドインUSAのTシャツやジーンズばかりを置く店になり、今は輸入雑貨の「なんでも屋」。周囲の噂話が集まる「姉さん」のお店〈ベーコン〉(柱番号21)は、昔は純喫茶、いつからか元純喫茶、いまは場末の風情になっている。
いずれも儲かってはいない。でも「あそこは変わった」「だめになった」と人が寄り着かなくなることはない。お客はいなくてもご近所さんや友人がやって来る。店舗という物体と商売というしくみのあいだに存在するもの。それが店主。いずれもユニークな人ぞろいである。
また、私の考えでは、引き継がれるものの魅力は肉体と精神のなかばで発生するものにある。姿かたちや精神構造以上に、「癖」とか「楽天さ」とかが似てると、親子だな、とぐっとくる。これらが継がれるには、ともにすごす時間が必要だ。
さらに、「把手のないやかん」と「使い物にならないがらくた」、この合い間に付与された「未来の蛸」というネーミング。これによって「湯はわかせてもガス台からおろせない」という欠点は霧散し、ユーモアとラブリーがただよい、買い求めてしまう人があられる。ちなみに名付けはむつ子さん、買ったのはバイトの面接に来た美子である!
このほか、ベーコンの姉さんの愛した男の苦手な食べ物と姉さんの好物、その間にあるもの(皮肉?悲しみ?笑い?愛?)、真夜中に進む謎の電車のやわらかな音や振動と、夢うつつの美子によみがえる大きな掌の記憶、この中ほどでもたらされるものなど、はざまが醸し出すゆらぎとぬくもりが読んでいて沁みる。町でも線路でもない「高架線下が舞台」を体現している物語なのだ。
さらに、読んだ人の胸の内に立ち上がる「物語」と、「本」という物体のあいだには、著者、そして編集者がいる。2013年に毎日新聞出版で刊行されたあと、2020年に平凡社で”完全版”が出され、今回中央公論新社から文庫化された本書には、「手から手へ」というあたたかさを感じる。「文庫版のためのあとがき」もどうぞお読み逃しなく。
舞台は高架下の商店街で主人公の美子は三十二歳。二年前、とつぜん「これからは寝て暮らす」と宣言した古道具屋(線路を支える柱の番号8)の店主のむつ子さんに、バイトだった彼女があとをまかされた。その時から店の二階(正確には一・五階)の四畳半に住みついてもいる。
「受け継ぐ」でないところがいい。それだと重々しい感じ。「引き継ぐ」には部署変更や異動で、前任者がやってポジションに己がはまる、というシンプルさがあると思う。
たとえば美子の友だち・サキのお店(柱は26番)は、父親がやっていたときはインチキくさい海外の菓子を専門に売っていたが、そのあとメイドインUSAのTシャツやジーンズばかりを置く店になり、今は輸入雑貨の「なんでも屋」。周囲の噂話が集まる「姉さん」のお店〈ベーコン〉(柱番号21)は、昔は純喫茶、いつからか元純喫茶、いまは場末の風情になっている。
いずれも儲かってはいない。でも「あそこは変わった」「だめになった」と人が寄り着かなくなることはない。お客はいなくてもご近所さんや友人がやって来る。店舗という物体と商売というしくみのあいだに存在するもの。それが店主。いずれもユニークな人ぞろいである。
また、私の考えでは、引き継がれるものの魅力は肉体と精神のなかばで発生するものにある。姿かたちや精神構造以上に、「癖」とか「楽天さ」とかが似てると、親子だな、とぐっとくる。これらが継がれるには、ともにすごす時間が必要だ。
さらに、「把手のないやかん」と「使い物にならないがらくた」、この合い間に付与された「未来の蛸」というネーミング。これによって「湯はわかせてもガス台からおろせない」という欠点は霧散し、ユーモアとラブリーがただよい、買い求めてしまう人があられる。ちなみに名付けはむつ子さん、買ったのはバイトの面接に来た美子である!
このほか、ベーコンの姉さんの愛した男の苦手な食べ物と姉さんの好物、その間にあるもの(皮肉?悲しみ?笑い?愛?)、真夜中に進む謎の電車のやわらかな音や振動と、夢うつつの美子によみがえる大きな掌の記憶、この中ほどでもたらされるものなど、はざまが醸し出すゆらぎとぬくもりが読んでいて沁みる。町でも線路でもない「高架線下が舞台」を体現している物語なのだ。
さらに、読んだ人の胸の内に立ち上がる「物語」と、「本」という物体のあいだには、著者、そして編集者がいる。2013年に毎日新聞出版で刊行されたあと、2020年に平凡社で”完全版”が出され、今回中央公論新社から文庫化された本書には、「手から手へ」というあたたかさを感じる。「文庫版のためのあとがき」もどうぞお読み逃しなく。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。