【第235回】間室道子の本棚 『墨のゆらめき』三浦しをん/新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『墨のゆらめき』
三浦しをん/新潮社
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皆様こんにちは。「間室道子の本棚」、八月は毎週木曜更新で、第五のみお休みです。では、今月の一本目!

新宿の小さな老舗の三日月ホテルに勤務する続力(つづき・ちから)は三十代半ば。人から話しかけられやすい性格(習性、もしくは才能、あるいは運命!?)の彼は、この十五年で「トイレどこ?」「喫煙所は?」とお客様から五万回は聞かれている。私の計算では一日平均二百回越え。同僚もドン引く回数だ。(ちなみに館内要所にはちゃんと案内板がある!)

「なんで俺ばっかり」などと思わず「お客様のお役に立てて本望です」と言い切る彼にとってホテルマンは天職。力が下高井戸で書道を教えている同年代の男、遠田薫(とおだ・かおる)の教室兼住居を訪ねるところから物語は始まる。

筆耕(ひっこう)という仕事がある。催される会の招待状の宛名書きを筆でおこなうのだ。専属、常駐でこの係がいる大きな施設もあるけれど、宴会場が一つの三日月では町の書道の先生や段持ちの人たちを登録し、ファイリングされたサンプルをお客様に見てもらって「私の披露宴はこの人の字がいい」「わが社のパーティはこの字の方で」とオーダーを得る。

亡くなった先代の後を継いだ薫の字は不思議な魅力に満ちていた。そして彼はイケメンであった。さらに性格はだだっ子めいていた!

で、初対面からホテルマンと書道の若先生による珍コンビが誕生。代筆屋である。

よくあるのは、先方があらかじめ用意した文章を代筆屋がその人の字に似せて、あるいはとにかく美しく、清書するもの。文面をこちらが一から考えてやる場合もある。二人の事件簿(?)ケース1に当たるのが、書道教室に通う五年生の男の子の依頼だ。

かけがえのない友がまもなく転校する。スマホを持たない小学生では、あるいはたとえ持っていたって、離れてしまえば今までのようにはいかない。東京と盛岡。もう友達ではいられないのか。でも僕の中ではやっぱり――。

薫は”ズッ友だよ”で済ませようとする。そんなのだめだめ!話しかけられやすさを大いに発揮した力は、目の前の子供に耳を傾け、気持ちになりきり、語られなかった彼らの日々にさえもぐりこんで言葉にしていく。それを薫が、少年が「僕の字だ!」と仰天するほどそっくりな筆致で片っ端から便箋に書き留める。一心同体、シンプルにして濃厚な時間。ちなみにケース2の依頼人は「なんでも受け止めてくれる彼氏と別れたい女」である。乞うご期待!

基本物語は愉快に進むが、薫が時折見せる、ひんやりしたものに注目。

他者を攻撃する冷やかさではなく、己の中に深く沈みこみ、誰にも手が出せないところに魂が行っている。墨痕のごとき底なしの黒さ。

ふと漏れ出た影を見せたほうも見てしまったほうも動揺し、だから彼らはそのあと、ことさら明るくふるまうのだ。だがある日――。

手書きを楽しむ趣向として、西洋ではカリグラフィー(飾り文字)がある。書道と違うのは、かすれ、にじみ、一か所にぼってり落ちたインクなどは敬遠されること。だが筆文字はそれらにも美を見出す。私の考えでは、黒々とした書が内側から光り輝く艶を放つのは、がっつりした自信、間違いのなさの発揮ではなく、ゆらめきが立ちのぼる時だ。書く側が見る側に己をゆだねたような。

息をするようにバカなことを言いつつ墨の芳しさを持つ男と、洗い立てのさらしみたいに愚直なホテルマン。作者・三浦しをんさんお得意の、水と油のバディもの。おススメ!
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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