【第223回】間室道子の本棚 『まぬけなこよみ』津村記久子/朝日文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『まぬけなこよみ』
津村記久子/朝日文庫
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本書は歳時記エッセイで、各冒頭にお題となる「季節のことば」があり、スタートは「初詣」。このあと専用の辞書に載っているような季語が続くのかな、とちょっとかまえていたら、「アレルギーの日」(二月二十日)、「ぶらんこ」、「いわし雲」、「自転車の日」(五月五日)、「傘」「貯蓄の日」(十月十七日)など、身近なものや「そんな日があるのか!」と気軽にびっくりする記念日が登場し、楽しく読み進めた。
また、文庫カバー裏の書籍紹介に「超庶民派芥川賞作家」とあって、たしかに津村さんはエッセイにしろ小説にしろ、われわれのあるあるを書かせたらおそらく日本一の(つまり、ありふれたことをありふれずに描く!)書き手なのだが、今回思ったのは「とくべつなものの孤独を見付けるのがうまい人なのだな」ということ。
たとえば「トマト」。赤いわ酸っぱいわで、洋食三大添え物のうちの他の二つ=千切りキャベツとスライスきゅうりを圧倒する悪目立ち。中から緑の汁みたいなのも出てくる。トマトは悪役然としてる、と津村さんは思っていた。しかしあるレシピを知り、「まるで、美人が過ぎるため、逆に主人公よりは敵役のオファーばかりが来る女優が、一人で主演してみたら演技もものすごかった、みたいな感じ」と津村さんは印象をがらりと変える。さらに「トマトは脇役、主役といった、表面的なことを超え、料理の根底を支える活躍をしている」と続けるにいたり、私たちは知るのだ、今までトマトがどれだけ孤独だったかを。
あと、「薔薇」について。桜の自暴自棄と言っていい景気の良さに対し、バラは「一輪一輪ちゃんと見てちょうだい」と昂然としている、と津村さんは書いている。でも私はここから、気取りよりも悲哀を感じた。桜や藤は「一輪を見る」がそもそも不可能。一方バラ自身に目と心があったなら「あの人は、あの子を見たのにあたしを見ない」が如実にわかってしまう。女王様気質というと「ホーッホッホッホ」という高笑いをイメージしがちだが、バラって「どうか私を・・・!」という切実さ、祈りのかたまりなんじゃないかな。津村さんの、「派手だけど緊張を強いる静のニュアンスを持つ」「「花」の範疇を超えているよう」という言葉が光る。
「Tシャツの日(七月二十日)」の、音楽フェスに海外リーグのサッカーのユニフォームを着て参加してる人の話も興味深い。なるほど、フェスで野球のかっこうをしてる人はいないが、サッカーシャツを着てるはいる。津村さんの観察によれば、メッシとかC・ロナウドとか、スーパープレイヤーのものは見かけない。つまり「にわかファン」がつかない、着てる人が心の底から「俺のあの人」と思ってる選手のものをまとい、彼らは音楽の(!)会場に行くのだ。このプライド。
ほかにも「父方の祖母とペルシャ猫とシャンソン」「嵐電の日本語の難しさを思い知る駅名と、あらゆる有名な芸能人が記された芸能神社の玉垣にある知らない名前」など、毅然として、一人でいるものたち。その哀感と誇り。津村さんのあらたな魅力に出会える一冊。
また、文庫カバー裏の書籍紹介に「超庶民派芥川賞作家」とあって、たしかに津村さんはエッセイにしろ小説にしろ、われわれのあるあるを書かせたらおそらく日本一の(つまり、ありふれたことをありふれずに描く!)書き手なのだが、今回思ったのは「とくべつなものの孤独を見付けるのがうまい人なのだな」ということ。
たとえば「トマト」。赤いわ酸っぱいわで、洋食三大添え物のうちの他の二つ=千切りキャベツとスライスきゅうりを圧倒する悪目立ち。中から緑の汁みたいなのも出てくる。トマトは悪役然としてる、と津村さんは思っていた。しかしあるレシピを知り、「まるで、美人が過ぎるため、逆に主人公よりは敵役のオファーばかりが来る女優が、一人で主演してみたら演技もものすごかった、みたいな感じ」と津村さんは印象をがらりと変える。さらに「トマトは脇役、主役といった、表面的なことを超え、料理の根底を支える活躍をしている」と続けるにいたり、私たちは知るのだ、今までトマトがどれだけ孤独だったかを。
あと、「薔薇」について。桜の自暴自棄と言っていい景気の良さに対し、バラは「一輪一輪ちゃんと見てちょうだい」と昂然としている、と津村さんは書いている。でも私はここから、気取りよりも悲哀を感じた。桜や藤は「一輪を見る」がそもそも不可能。一方バラ自身に目と心があったなら「あの人は、あの子を見たのにあたしを見ない」が如実にわかってしまう。女王様気質というと「ホーッホッホッホ」という高笑いをイメージしがちだが、バラって「どうか私を・・・!」という切実さ、祈りのかたまりなんじゃないかな。津村さんの、「派手だけど緊張を強いる静のニュアンスを持つ」「「花」の範疇を超えているよう」という言葉が光る。
「Tシャツの日(七月二十日)」の、音楽フェスに海外リーグのサッカーのユニフォームを着て参加してる人の話も興味深い。なるほど、フェスで野球のかっこうをしてる人はいないが、サッカーシャツを着てるはいる。津村さんの観察によれば、メッシとかC・ロナウドとか、スーパープレイヤーのものは見かけない。つまり「にわかファン」がつかない、着てる人が心の底から「俺のあの人」と思ってる選手のものをまとい、彼らは音楽の(!)会場に行くのだ。このプライド。
ほかにも「父方の祖母とペルシャ猫とシャンソン」「嵐電の日本語の難しさを思い知る駅名と、あらゆる有名な芸能人が記された芸能神社の玉垣にある知らない名前」など、毅然として、一人でいるものたち。その哀感と誇り。津村さんのあらたな魅力に出会える一冊。
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。