【第209回】間室道子の本棚 『N/A』年森瑛/文藝春秋

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『N/A』
年森瑛/文藝春秋
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主人公の女子高生まどかは絵本のぐりとぐら、かえるくんとがまくんの関係を最高だと思っている。

ふたりは友達、恋人、家族といったくくりやヒエラルキーの外。一階席の順番がどう推移しようと君は二階の特等席にいる、だからなんの心配もない、と言い合える特別枠。

小学校の卒業間際、親友男子とそうなれると思ったが、おつきあいはたちまち消滅。なかばあきらめていた高校二年の時、声を掛けてきたのが教育実習に来ていた二十二歳の女性うみちゃんだった。対男の子では失敗した。対大人の女性ではどうだろう?

かくして「おためし交際」がスタート。でもこれを経たら恋人同士、と考えているうみちゃんと、これが過ぎたらがまくんとかえるくん、を願うまどかには齟齬がいっぱい。そしてうみちゃんはSNSに「パートナーさんとの記録」をUPしていた・・・。

エピソードをもう一つ。まどかは生理にならないように食べ物を控えている。なぜなら、股の間から血を流したくないからだ。

だが拒食症とみなされ、保健の先生はそういう子向けのマニュアルに載っていそうな助言をくり出してきた。「股から血が出るのがやだ」と「食べるのが嫌」はまったく違うのに。

N/Aとは「該当なし」を表す英語の略語で、「カテゴライズされる社会の息ぐるしさを描いた」と評されることが多い本書だけど、もうひとつの読みどころは「だれも傷つけない言葉はだれかに届くのか」だと思う。

「教育実習に来ていた海野先輩のSNS」の存在を知らせてきたのは友人の翼沙で、まどかへの気遣いに満ちた話し運びは「LGBT 接し方」とか「友達 同性愛者 配慮」の検索結果にちがいなかった。なぜならうみちゃんと付き合うとき自分も調べたからだ。

昔は例文と言えば、年賀状の書き方とか冠婚葬祭の挨拶ぐらいだった。しかし多様性の時代、予想もしなかった情勢続きの現代では、ネットには「こんな時はこう!」の用例がいっぱいだ。

そこで注目するのが、まどかのお母さんである。

家の共有パソコンには母が調べたのであろう「子ども ダイエット やめさせる」「拒食症 親 対応」などの履歴があり、まどかは気の毒に思っている。そんなお母さんが物語の半ばで言った言葉――「XXのことだから」におどろいた。

XXは伏字にした。本書で確認してほしい。生理をこう呼ぶのは医学的に正しいの?とぽかんとしてしまう、即物的で、そのわりにグロい感じもし、拒食症だと思っている娘に言うのはどうかな、と思うようなちょっとギョッとする表現。でもネットにはぜったい載ってない、母が心をふりしぼったワードだ。

親戚との正月の会話をはじめ、つるっとしていて傷になりようもない言葉があふれる物語の中で、「XX」は血肉をもって胸に残った。(そして奇しくもラスト近くで、「お母さん、その言葉当たりですよ」が起きる!)

たとえば「香港、台湾、ウクライナに知人がいる」「友人が婚活詐欺に遭った」「親戚の家が水没」というとき、こう言えばオッケー!のお墨付き台本があればありがたい。でもお話の後半、未曽有の事態になった友人オジロにかける言葉を検索しようとして、まどかはスマホを放り投げる。そして再び手にとり、腹をくくった翼沙からのメッセージとともに、三人のグループラインにオジロが打ち込んだ長文をただ見続ける。

この行動を選び取ったことが、私には救いのように思えた。相手からの返しがないことを「既読スルー」っていうけど、スルー=通過はしていない。居心地のいいワードを捜しに行かない。なにもわかんない、いまこまってる、わけわかんなくて、というオジロの言葉はそのまま、まどかの言葉だ。そこに立ち止まり、おびえと、なすすべのなさでつながってる。まどかの沈黙の意味するものが、オジロに届く。

令和の時代を活写する、すばらしい作品。
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『蒼ざめた馬』(アガサ・クリスティー/ハヤカワクリスティー文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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