【第186回】間室道子の本棚 『掃除婦のための手引き書』ルシア・ベルリン 岸本佐知子訳/講談社文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『掃除婦のための手引き書』
ルシア・ベルリン 岸本佐知子訳/講談社文庫
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表紙をごらんいただきたい。これがルシア・ベルリンだ。
どこぞの女優さんかと思う顔立ち以上に人をとりこにするのは目つきだ。なんという晴れやかさ。
実はこの人、幼少期はアメリカの鉱山町を転々とし、父親が戦争に行ったためテキサスの祖父母のもとで「周りの大人たちがほぼ酒びたり」という悲惨な少女時代を送り、父が帰還し一山当てたので南米でお嬢様暮らしをすることになり、十代での結婚をはじめ合計三人の夫を持ち、どの男とも駄目になって子供四人を抱えたシングルマザーとして働きまくり、子供時代に周囲に苦しめられていたのになんと自分もアルコール依存症になり、克服後はメキシコにいるガンの妹を看取り、という人生を送っているのだ。この爽快なまなざしの過去に、未来に、そんなことがあるなんて、誰も想像できないだろう。
原書『A Manual for Cleaning Women』には四十三編の短編が載っていて、そのうちの二十四編がこの『掃除婦のための手引書』に収められている。どれも著者が体験したことがベースになっているらしく、描かれる多くは生活苦や断ち切れない酒の話だ。セレブライフも出てくるが、ベルリンの小説は「今置かれている暮らしが金持ちか貧乏か」で人生のよしあしを決めない。
ミランダ・ジュライの作品に「貧乏人は宝くじに当たっても金持ちにはなれない。宝くじのあたった貧乏人になるだけだ」というフレーズがあったのを思い出す。ベルリン作品では、貧者の暮らしぶりがよくなっても、淋しい女に男ができても変わらない。全員が、あるものに心を喰われている。それは孤独。生活向上や恋で解消されないひりひりした痛み。
おススメはメキシコ州アルバカーキが舞台の「エンジェル・コインランドリー店」。女性主人公は近所にもっといい店があるのに町の反対側のしょぼいランドリーを利用している。元アル中の店主エンジェルにより、壁じゅうに禁酒のスローガンが貼ってあるような店だ。
彼女は、貼り紙なんか気に留めずいつも店内で酒瓶を手にしている背の高い年寄りのインディアンと目線、そして言葉を交わすようになる。一度「おれのトレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と声をかけられたけど、やんわり断った。男は飲みすぎて二度ほどランドリーで卒倒する。
お話の最初のほうで、主人公はニューヨーク時代に、行きつけのコインランドリーでアパートの上の階に住む老女から鍵を預かったことを思い出す。自分は毎週決まった曜日に洗濯をしている、もし木曜にあたしが現れない時は死んだ時だ、あんたに死体の発見者になってもらいたい、と言われたのだ。
ニューヨーク、アルバカーキ、どっちのエピソードも悲しい。たいていのコインランドリーは「染色(DYE)はお断わりいたします」という注意書きを出しているが、エンジェルの店ではOKだ。その貼り紙のスペリングが間違っていて別なメッセージになっていることが、物語に効いてくる。
「相手が動かなくなった」という状態だけなら気絶も死も同じ。世界にふたりぼっちみたいな状況なのに、目が開いているのは自分だけ。でも、それでも、相手は彼女に手を伸ばしてきたのだ。悲惨だけどどこかあたたかなものが、主人公とインディアン、そして老女との交流にはある。
どの収録作でも、孤独は登場人物を痛めつけるがねじくれさせない。生きている間は「知るひとぞ知る」だったルシア・ベルリンは、亡くなった後、本書で大成功した。
この作家は面白いとか、この本は傑作だと思うことはよくある。でも一人の書き手を通じて文学の底知れなさを味わうことはめったにない。こんなにすごい人が未知だったのなら、世界にはあとどれぐらい才能ある作家がいるのか。そしてそれらすべてにふれることは、できない・・・!
でもこの思いは絶望ではない。未知なる作家一人の出現により、私たちは不可知の豊饒さを知ることができたのだ。
★代官山 蔦屋書店では4/29(金)夜7時より 岸本佐知子さんのオンライントークショー「リモート・佐知子の部屋」vol.18を開催いたします。対談のお相手は当店文学コンシェルジュの間室道子。視聴は1100円、お申込みは下記からどうぞ!
https://en.store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/25896-1541150406.html
どこぞの女優さんかと思う顔立ち以上に人をとりこにするのは目つきだ。なんという晴れやかさ。
実はこの人、幼少期はアメリカの鉱山町を転々とし、父親が戦争に行ったためテキサスの祖父母のもとで「周りの大人たちがほぼ酒びたり」という悲惨な少女時代を送り、父が帰還し一山当てたので南米でお嬢様暮らしをすることになり、十代での結婚をはじめ合計三人の夫を持ち、どの男とも駄目になって子供四人を抱えたシングルマザーとして働きまくり、子供時代に周囲に苦しめられていたのになんと自分もアルコール依存症になり、克服後はメキシコにいるガンの妹を看取り、という人生を送っているのだ。この爽快なまなざしの過去に、未来に、そんなことがあるなんて、誰も想像できないだろう。
原書『A Manual for Cleaning Women』には四十三編の短編が載っていて、そのうちの二十四編がこの『掃除婦のための手引書』に収められている。どれも著者が体験したことがベースになっているらしく、描かれる多くは生活苦や断ち切れない酒の話だ。セレブライフも出てくるが、ベルリンの小説は「今置かれている暮らしが金持ちか貧乏か」で人生のよしあしを決めない。
ミランダ・ジュライの作品に「貧乏人は宝くじに当たっても金持ちにはなれない。宝くじのあたった貧乏人になるだけだ」というフレーズがあったのを思い出す。ベルリン作品では、貧者の暮らしぶりがよくなっても、淋しい女に男ができても変わらない。全員が、あるものに心を喰われている。それは孤独。生活向上や恋で解消されないひりひりした痛み。
おススメはメキシコ州アルバカーキが舞台の「エンジェル・コインランドリー店」。女性主人公は近所にもっといい店があるのに町の反対側のしょぼいランドリーを利用している。元アル中の店主エンジェルにより、壁じゅうに禁酒のスローガンが貼ってあるような店だ。
彼女は、貼り紙なんか気に留めずいつも店内で酒瓶を手にしている背の高い年寄りのインディアンと目線、そして言葉を交わすようになる。一度「おれのトレーラーハウスでいっしょに横になって休まないか」と声をかけられたけど、やんわり断った。男は飲みすぎて二度ほどランドリーで卒倒する。
お話の最初のほうで、主人公はニューヨーク時代に、行きつけのコインランドリーでアパートの上の階に住む老女から鍵を預かったことを思い出す。自分は毎週決まった曜日に洗濯をしている、もし木曜にあたしが現れない時は死んだ時だ、あんたに死体の発見者になってもらいたい、と言われたのだ。
ニューヨーク、アルバカーキ、どっちのエピソードも悲しい。たいていのコインランドリーは「染色(DYE)はお断わりいたします」という注意書きを出しているが、エンジェルの店ではOKだ。その貼り紙のスペリングが間違っていて別なメッセージになっていることが、物語に効いてくる。
「相手が動かなくなった」という状態だけなら気絶も死も同じ。世界にふたりぼっちみたいな状況なのに、目が開いているのは自分だけ。でも、それでも、相手は彼女に手を伸ばしてきたのだ。悲惨だけどどこかあたたかなものが、主人公とインディアン、そして老女との交流にはある。
どの収録作でも、孤独は登場人物を痛めつけるがねじくれさせない。生きている間は「知るひとぞ知る」だったルシア・ベルリンは、亡くなった後、本書で大成功した。
この作家は面白いとか、この本は傑作だと思うことはよくある。でも一人の書き手を通じて文学の底知れなさを味わうことはめったにない。こんなにすごい人が未知だったのなら、世界にはあとどれぐらい才能ある作家がいるのか。そしてそれらすべてにふれることは、できない・・・!
でもこの思いは絶望ではない。未知なる作家一人の出現により、私たちは不可知の豊饒さを知ることができたのだ。
★代官山 蔦屋書店では4/29(金)夜7時より 岸本佐知子さんのオンライントークショー「リモート・佐知子の部屋」vol.18を開催いたします。対談のお相手は当店文学コンシェルジュの間室道子。視聴は1100円、お申込みは下記からどうぞ!
https://en.store.tsite.jp/daikanyama/event/humanities/25896-1541150406.html
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。