【第172回】間室道子の本棚 『小説の惑星』ノーザンブルーベリー篇・オーシャンラズベリー篇/ちくま文庫
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『【第172回】間室道子の本棚 『小説の惑星』ノーザンブルーベリー篇・オーシャンラズベリー篇』
ちくま文庫
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伊坂幸太郎さんが集めた短篇の傑作選。青い表紙のほうに10編、赤に9編入っていて、あとがきにそれぞれの作品についての選書理由や思い出がついている。赤青まえがきは同じ。その中で、伊坂さんはこう書いていた。「負ける気がしない」。
私は泣きそうになり、そのあと体じゅうに力がみなぎった。
もちろんこの言葉は、<僕が選んだ19のラインナップは「小説はもういいや。アニメや漫画や映画、ゲームがいいじゃん」と思っている人にも、「小説が好きー。私ならもっと最強の短篇集を編める!」という人にも負ける気がしない>という意味なんだけど、何だか私には、今世の中で起きてるすべてのことに対して「僕たちは負ける気がしないんだ」って言ってもらった気がした。
あきらかな妄想。誤読。でも「相手の言うことを正しく読み取らない読書」もあっていいと思うの。
私にとって励ましは、心が疲れてる時周囲に求めるものではない。ふいに目や耳にした元気が出る一言が沁みて初めて、ああ私は弱ってたんだ、と気づく。
「勝てる気満々だ!」じゃないのが伊坂さんらしい。「勝つ」を出しちゃうと、言ってる人の顔は好戦的でアブラギッシュなイメージ。「負ける気がしない」にあるのは晴れ晴れとした爽やかさ、輝く目、こころもち上がってる口角だ。
全19編の中で、私のおススメは赤の(ちなみに2冊には「オーシャンラズベリー篇」「ノーザンブルーベリー篇」という伊坂さんが思いつきで付けたすてきな名前があるのだけど、ぜったい彼自身、編集さんや出版社の方と「赤のあれさあ」とか「青のやつだけど」などと言ってると思う!)、島村洋子さんの「KISS」。
主人公は大学生の男の子コウスケで、小学四年の時転校してきて中学二年にまた転校していくまで故郷の和歌山で同級生だった女の子がセクシー・アイドルになっている。
芸名「栗原はるな」。本名は春美。いじめられっこで勉強もできなかった。ゴボウのように色が黒くやせていた彼女は色白の巨乳になり、当時と今では鼻の形が違う。うっすらと不幸の匂いをまとっていた少女は、今や少年漫画誌のグラビアを飾りテレビのバラエティーで豪快に笑うスターだ。
家が近所だったコウスケは、春美が川原で泣いていたり、公園でひとり野良犬や野良猫と遊んでいたりするのを見て、立ち去ることができずに一緒にいてやったことがある。でもクラスの皆にあの子の仲間と見られるのはいやだった。自分はなさけない卑怯者だ。そして彼女は彼の初キスの相手だった。もちろんこんなことは誰にも言ってない。
彼女の大ファンで、学内で唯一「同級生だったんだって」をシンプルに知るシンジに頼み込まれ、コウスケは「栗原はるな」のサイン会に同行することになる。列が進み、彼らの番になった。そこで・・・。
この作品の何が伊坂さんの心をとらえたか。おそらく、ここだ。コウスケが春美のそばですわっていたことを回想する文章。
「たぶん、そこにあったのは自分たちはまだこどもなのだ、こどもではないのにこどもと扱われているのだ、そしてそれはとてつもなく力がないことなのだということを一瞬一瞬、いやがうえにも認識させられることなのだ、という気持ちをお互いに持っている、という連帯感だった」
これは子供たちを描く時に伊坂作品で核になってるものと同じではないか。読者は、島村洋子さん、大江健三郎先生、町田康さん、芥川龍之介と一條次郎さん、井伏鱒二らの作品を読みながら、伊坂さんを「読む」。探さなくても伝わるのだ。オフビートなユーモアや、人の残酷さを描く時の覚悟。「これらの短篇が彼に影響を与えました」を超えた、まさに連帯。今もともに進んでるかんじ。
とにかく、作家が小説の力をこんなにストレートに信じてる。これが私の生きていくあらゆるこれからを励ましたよ!
私は泣きそうになり、そのあと体じゅうに力がみなぎった。
もちろんこの言葉は、<僕が選んだ19のラインナップは「小説はもういいや。アニメや漫画や映画、ゲームがいいじゃん」と思っている人にも、「小説が好きー。私ならもっと最強の短篇集を編める!」という人にも負ける気がしない>という意味なんだけど、何だか私には、今世の中で起きてるすべてのことに対して「僕たちは負ける気がしないんだ」って言ってもらった気がした。
あきらかな妄想。誤読。でも「相手の言うことを正しく読み取らない読書」もあっていいと思うの。
私にとって励ましは、心が疲れてる時周囲に求めるものではない。ふいに目や耳にした元気が出る一言が沁みて初めて、ああ私は弱ってたんだ、と気づく。
「勝てる気満々だ!」じゃないのが伊坂さんらしい。「勝つ」を出しちゃうと、言ってる人の顔は好戦的でアブラギッシュなイメージ。「負ける気がしない」にあるのは晴れ晴れとした爽やかさ、輝く目、こころもち上がってる口角だ。
全19編の中で、私のおススメは赤の(ちなみに2冊には「オーシャンラズベリー篇」「ノーザンブルーベリー篇」という伊坂さんが思いつきで付けたすてきな名前があるのだけど、ぜったい彼自身、編集さんや出版社の方と「赤のあれさあ」とか「青のやつだけど」などと言ってると思う!)、島村洋子さんの「KISS」。
主人公は大学生の男の子コウスケで、小学四年の時転校してきて中学二年にまた転校していくまで故郷の和歌山で同級生だった女の子がセクシー・アイドルになっている。
芸名「栗原はるな」。本名は春美。いじめられっこで勉強もできなかった。ゴボウのように色が黒くやせていた彼女は色白の巨乳になり、当時と今では鼻の形が違う。うっすらと不幸の匂いをまとっていた少女は、今や少年漫画誌のグラビアを飾りテレビのバラエティーで豪快に笑うスターだ。
家が近所だったコウスケは、春美が川原で泣いていたり、公園でひとり野良犬や野良猫と遊んでいたりするのを見て、立ち去ることができずに一緒にいてやったことがある。でもクラスの皆にあの子の仲間と見られるのはいやだった。自分はなさけない卑怯者だ。そして彼女は彼の初キスの相手だった。もちろんこんなことは誰にも言ってない。
彼女の大ファンで、学内で唯一「同級生だったんだって」をシンプルに知るシンジに頼み込まれ、コウスケは「栗原はるな」のサイン会に同行することになる。列が進み、彼らの番になった。そこで・・・。
この作品の何が伊坂さんの心をとらえたか。おそらく、ここだ。コウスケが春美のそばですわっていたことを回想する文章。
「たぶん、そこにあったのは自分たちはまだこどもなのだ、こどもではないのにこどもと扱われているのだ、そしてそれはとてつもなく力がないことなのだということを一瞬一瞬、いやがうえにも認識させられることなのだ、という気持ちをお互いに持っている、という連帯感だった」
これは子供たちを描く時に伊坂作品で核になってるものと同じではないか。読者は、島村洋子さん、大江健三郎先生、町田康さん、芥川龍之介と一條次郎さん、井伏鱒二らの作品を読みながら、伊坂さんを「読む」。探さなくても伝わるのだ。オフビートなユーモアや、人の残酷さを描く時の覚悟。「これらの短篇が彼に影響を与えました」を超えた、まさに連帯。今もともに進んでるかんじ。
とにかく、作家が小説の力をこんなにストレートに信じてる。これが私の生きていくあらゆるこれからを励ましたよ!
代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室 道 子
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、電子雑誌「旅色 TABIIRO」、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。