【第170回】間室道子の本棚 『メロンと寸劇 向田邦子食いしん坊エッセイ』向田邦子/河出書房新社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『メロンと寸劇 向田邦子食いしん坊エッセイ』
向田邦子/河出書房新社
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向田邦子食いしん坊エッセイ傑作選の第二弾。第一弾の『海苔と卵と朝めし』が「味」中心なのに対し、第二弾の本書では「誰と食べたか、どんな状況だったか」にフォーカスが当てられていると思う。
わたしの胸にいちばん残ったのは「ごはん」。さあどんな美味しいものがと思いきや、描かれているのは東京大空襲の夜と翌日だ。
町が火の海と化した中、弟と妹に競馬場跡地に逃げるようにと父親から指示があった後、女学生だった向田さんは両親と家の中と外を走り、降りそそぐ葉書大の火の粉を火叩きで落してまわる。もはやこれまで、という時に風向きが変わり、向田家は焼け残った。
今は「連夜はなかった」とわかっている。でも当時の人々には、今夜もあんなことが?という恐怖があっただろう。すでにあたりいちめん焼け野原だけど残った家々を殲滅に来たら?「絨毯爆撃」のうわさはあった。ある施設を狙ってというより人々の士気を破壊するための無差別で容赦のない攻撃のことだ。次はいつですか、まさか今日ですか、という情報は、アメリカはもちろん青息吐息の日本政府からは来ない。それでこの日のお昼、父親が言い出したこととは・・・。
向田作品といえばすぐお父さんが思い浮かぶほど、父親について、彼女は何度も書いている。癇癪もちで、世間に馬鹿にされまいと、肩ひじ張って生きてきたひと。
お父さんは学歴がなく、勤務先である保険会社で苦労しながら地位を得ていった。いくつかの地方の支店長も任された。「俺ほどの努力家なら当たり前だ」という思いはなく、私の考えでは、本人は「出世しすぎてる」と思っていたんじゃないか。だから「本当はあんな位置にいる人じゃないんだよ」と言われるのが怖くて、会社で一日気を張りつめて上にも下にも気を配り、家に帰れば家族にもめちゃくちゃきびしかった。
大空襲の翌日にお隣の家がどういう状態だったかが書き添えてあり、そんな中でのお父さんのこの行動はすごい。
また空襲があったら今度はやられるという「死」を前にしたら、世間様よりもう家族。気短の後ろに裏に見え隠れしていた子煩悩に思う存分走った姿が胸を打つ。
向田エッセイの最高傑作のひとつ「父の詫び状」も本書に収録されている。戦後、父親の赴任先だった仙台での冬休み、酔客の粗相を寒風吹きすさぶ玄関先で向田さんが片付けた。父からねぎらいの言葉はなかったし、数日後東京の学校に戻る時の小遣いの増額などもなかった。
直接はなにもできない。「しない」ではなく、私の考えでは、できないのである。「明治生まれの男だから」とか「ザ・昭和初期の父親なのよね」でくくれない、「だって、向田さんのお父さんなんだもん」としか言いようのないかたくなさと寂寥がここにある。
でも俺に何もないと思ってくれるな、という心情から手紙は書いた。けど娘はこの一行を読み飛ばすかもしれない。そんなあせりや、見落とすなよ、という願いが、父親に文中、あることをさせる。
気持ちの吐露などではなく、現象としては色と傍線だ。でもこれをほどこす時の手つきすら想像できる。そんなエッセイである。思いをすくいとった娘が、みごとに読者に父を「読ませる」。
かわいがりかたがうまくなかっただけで、愛はあった。そんなエピソードがこのほかにもいろいろ読める。お父さんの味は苦い。甘い。まずい。うまい。上手に交じり合わないところがいい。おすすめです。
わたしの胸にいちばん残ったのは「ごはん」。さあどんな美味しいものがと思いきや、描かれているのは東京大空襲の夜と翌日だ。
町が火の海と化した中、弟と妹に競馬場跡地に逃げるようにと父親から指示があった後、女学生だった向田さんは両親と家の中と外を走り、降りそそぐ葉書大の火の粉を火叩きで落してまわる。もはやこれまで、という時に風向きが変わり、向田家は焼け残った。
今は「連夜はなかった」とわかっている。でも当時の人々には、今夜もあんなことが?という恐怖があっただろう。すでにあたりいちめん焼け野原だけど残った家々を殲滅に来たら?「絨毯爆撃」のうわさはあった。ある施設を狙ってというより人々の士気を破壊するための無差別で容赦のない攻撃のことだ。次はいつですか、まさか今日ですか、という情報は、アメリカはもちろん青息吐息の日本政府からは来ない。それでこの日のお昼、父親が言い出したこととは・・・。
向田作品といえばすぐお父さんが思い浮かぶほど、父親について、彼女は何度も書いている。癇癪もちで、世間に馬鹿にされまいと、肩ひじ張って生きてきたひと。
お父さんは学歴がなく、勤務先である保険会社で苦労しながら地位を得ていった。いくつかの地方の支店長も任された。「俺ほどの努力家なら当たり前だ」という思いはなく、私の考えでは、本人は「出世しすぎてる」と思っていたんじゃないか。だから「本当はあんな位置にいる人じゃないんだよ」と言われるのが怖くて、会社で一日気を張りつめて上にも下にも気を配り、家に帰れば家族にもめちゃくちゃきびしかった。
大空襲の翌日にお隣の家がどういう状態だったかが書き添えてあり、そんな中でのお父さんのこの行動はすごい。
また空襲があったら今度はやられるという「死」を前にしたら、世間様よりもう家族。気短の後ろに裏に見え隠れしていた子煩悩に思う存分走った姿が胸を打つ。
向田エッセイの最高傑作のひとつ「父の詫び状」も本書に収録されている。戦後、父親の赴任先だった仙台での冬休み、酔客の粗相を寒風吹きすさぶ玄関先で向田さんが片付けた。父からねぎらいの言葉はなかったし、数日後東京の学校に戻る時の小遣いの増額などもなかった。
直接はなにもできない。「しない」ではなく、私の考えでは、できないのである。「明治生まれの男だから」とか「ザ・昭和初期の父親なのよね」でくくれない、「だって、向田さんのお父さんなんだもん」としか言いようのないかたくなさと寂寥がここにある。
でも俺に何もないと思ってくれるな、という心情から手紙は書いた。けど娘はこの一行を読み飛ばすかもしれない。そんなあせりや、見落とすなよ、という願いが、父親に文中、あることをさせる。
気持ちの吐露などではなく、現象としては色と傍線だ。でもこれをほどこす時の手つきすら想像できる。そんなエッセイである。思いをすくいとった娘が、みごとに読者に父を「読ませる」。
かわいがりかたがうまくなかっただけで、愛はあった。そんなエピソードがこのほかにもいろいろ読める。お父さんの味は苦い。甘い。まずい。うまい。上手に交じり合わないところがいい。おすすめです。