【第110回】間室道子の本棚 『Another 2001』綾辻行人/KADOKAWA
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『Another 2001』
綾辻行人/KADOKAWA
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2009年に刊行された『Another』のシリーズ最新作。スピンオフ的な『Another エピソードS』とは異なり、「あの中学校」が舞台。バリバリの続編である。
私は本を読む順番をあまり気にしない。上下本を下から読むことはしないが、小説や映画のPart2には、「ここから始めても面白い」を持っていてほしいのだ。でないとたとえば初めて手に取ったのがシリーズ三作目であった人に、「これを味わうには前の二作をクリアしないとだめなのか・・・」というあきらめや面倒くささを与えてしまうからだ。
でも綾辻先生のこの作品は特別。どうぞ皆さん、Anotherシリーズは正編を読み、しかるのちにこの続編を読んでください。理由は世にも稀有な少女・見崎鳴(ミサキ・メイ)の存在にある。
『Another 2001』にはのっけから見崎鳴が「いる」。でもシリーズ一作目には、「彼女の存在そのものについてのスリル」があるのだ。
正編の主人公は夜見山北中学校三年三組に転校してきた恒一で、教室に漂う不穏さと異様な緊張感に彼はたじろぐ。皆は知っているのに自分だけルールがわからないままゲームに参加しているような独特の浮遊感のど真ん中に、読者も投げ出されることになる。
そんなクラスの影の、見崎鳴。「いる」と「いない」の、人間と人形の、虚ろと実のすれすれで、われわれを揺らす少女。この妖しい読み味は、続編が先だと発生しない。だからどうぞ、まずは正編を。一気読みできちゃうから大丈夫ですよ!
さて、続編の舞台は正編の舞台であった1998年から三年後。タイトルにあるように2001年。ここに作者・綾辻先生のたくらみがある。物語にはこの年の象徴的なものが二つ出て来る。ひとつはつくりもの=映画で、ひとつは実際の事件だ。
映画館を出た後、『Another 2001』の登場人物が「あれだけの恐竜が自由自在に動き回ってるのはやっぱ、それだけですげえよな」と言う。黎明期の特撮映画は、人間も怪物も「自由自在」ではなかった。いかにもはめこんだ画。ぎくしゃくした動き。ほんものではない感ありあり。でも技術は進化し続け、この年公開の作品には、ふつうのネイチャー番組ぐらいの精度で恐竜たちが映っている!
事件のほうは9月だ。深夜にテレビに映し出された大惨事に見入り、「何かの映画?いや、そうじゃない」と登場人物が衝撃を受けるシーンがある。私も同じだった。これは年末公開のSFX大作の予告編なのか?と思い、生中継だ、とわかって震えた人は多いはず。
2001年は「非現実が現実に、現実が非現実に見える」を世界に決定づけた年なのだ。これが夜見北中学三年三組の謎とシンクロする。
境界線の融解は、人の心にもじわじわ作用する。信頼と疑い、愛と憎しみが境目を無くし、登場人物たちから怒りが、悲しみが、噴出する!
ある年そのものを大仕掛けに使ったかつてないミステリー。綾辻行人先生の大傑作。
私は本を読む順番をあまり気にしない。上下本を下から読むことはしないが、小説や映画のPart2には、「ここから始めても面白い」を持っていてほしいのだ。でないとたとえば初めて手に取ったのがシリーズ三作目であった人に、「これを味わうには前の二作をクリアしないとだめなのか・・・」というあきらめや面倒くささを与えてしまうからだ。
でも綾辻先生のこの作品は特別。どうぞ皆さん、Anotherシリーズは正編を読み、しかるのちにこの続編を読んでください。理由は世にも稀有な少女・見崎鳴(ミサキ・メイ)の存在にある。
『Another 2001』にはのっけから見崎鳴が「いる」。でもシリーズ一作目には、「彼女の存在そのものについてのスリル」があるのだ。
正編の主人公は夜見山北中学校三年三組に転校してきた恒一で、教室に漂う不穏さと異様な緊張感に彼はたじろぐ。皆は知っているのに自分だけルールがわからないままゲームに参加しているような独特の浮遊感のど真ん中に、読者も投げ出されることになる。
そんなクラスの影の、見崎鳴。「いる」と「いない」の、人間と人形の、虚ろと実のすれすれで、われわれを揺らす少女。この妖しい読み味は、続編が先だと発生しない。だからどうぞ、まずは正編を。一気読みできちゃうから大丈夫ですよ!
さて、続編の舞台は正編の舞台であった1998年から三年後。タイトルにあるように2001年。ここに作者・綾辻先生のたくらみがある。物語にはこの年の象徴的なものが二つ出て来る。ひとつはつくりもの=映画で、ひとつは実際の事件だ。
映画館を出た後、『Another 2001』の登場人物が「あれだけの恐竜が自由自在に動き回ってるのはやっぱ、それだけですげえよな」と言う。黎明期の特撮映画は、人間も怪物も「自由自在」ではなかった。いかにもはめこんだ画。ぎくしゃくした動き。ほんものではない感ありあり。でも技術は進化し続け、この年公開の作品には、ふつうのネイチャー番組ぐらいの精度で恐竜たちが映っている!
事件のほうは9月だ。深夜にテレビに映し出された大惨事に見入り、「何かの映画?いや、そうじゃない」と登場人物が衝撃を受けるシーンがある。私も同じだった。これは年末公開のSFX大作の予告編なのか?と思い、生中継だ、とわかって震えた人は多いはず。
2001年は「非現実が現実に、現実が非現実に見える」を世界に決定づけた年なのだ。これが夜見北中学三年三組の謎とシンクロする。
境界線の融解は、人の心にもじわじわ作用する。信頼と疑い、愛と憎しみが境目を無くし、登場人物たちから怒りが、悲しみが、噴出する!
ある年そのものを大仕掛けに使ったかつてないミステリー。綾辻行人先生の大傑作。