【第96回】間室道子の本棚 『きたきた捕物帖』 宮部みゆき/PHP
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『きたきた捕物帖』
宮部みゆき/PHP
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物語で心に残ることって、新鮮なキャラクターだったりあっと驚く展開だったりするけど、私にとって宮部作品の、とくに江戸ものでは圧倒的に「人の考え」だ。かつてこういう考え方をした者がいた、というのは長く残り、現実の人と同じように自分をはげましたりいましめたりしてくれる。
新シリーズ『きたきた捕物帖』の主人公は、急死した千吉親分の子分の中でも下の下の下にいた北一。十六歳になるこの少年は、亡き親分のおかみさんのところに出入りしながら、文庫(厚紙製の箱。本のほかに、身の回りのちょっとした物を入れる)売りをして暮らしている。おかみさんは目が見えないが、耳と鼻が利き、記憶力がいい。おススメは二話目の「双六神隠し」。
長屋の中でもとくに貧乏な子だくさん一家の長男で十一歳になる松吉が行方不明になった。昨日一緒にいたという笹川屋の長男・仙太郎は、「へんな双六を拾い、三人で遊んだ」と語った。消えた松吉と、事件後ただ泣くばかりの魚屋の丸助、そして裕福なお店の跡取りであるこの子は、境遇はずいぶん違うけど同い年の仲良しだったのだ。
ふつうの双六に見えたが、駒が止まる要所の文字が、腫れ物、大熱、目病みなど嫌なことばかり。大きな額も書いてあったが、これはその金額を損するということなのか。大泣きの丸助の駒は「金三両」で止まったという。消えた松吉は「神隠し」。自分は「閻魔の丁」だった、と仙太郎は言った。これは死の意味か。いっぺん遊んだきりで、今はどこかに失せてしまったあれは、呪いの双六なのか・・・。
事件は見るからに利発で、礼儀正しい仙太郎の筋書きだと北一は考えた。松吉は貧しい家の稼ぎ手としての将来が嫌になって家出し、同情した仙太郎が後付けの話を考えた。丸助は「双六のせいだ」と泣き騒ぐだけで、込み入った話をしたのは仙太郎ひとりだったから。
しかし世間知のかたまりみたいな差配人(長屋の管理人的な人)の富勘が、こんなホラ話を信じている。北一の報告を受けたおかみさんは、「富勘さんはいい子に弱いと親分に聞いたことがある」と言った。
ここでの北一の返事の予想として、読者の頭には「手練れの富勘さんにも純なところがあるんですね」とか「そろそろトシで焼きが回ったのかなあ」ぐらいが浮かぶだろう。しかし北一は言うのだ。「出来の悪い大人を山ほど見ているからですかね?」
懸命に働く者もいるけれど、怠けたり酒に溺れたり暴力を振るったりする者たちがいる長屋で、時に意見し、時に叱りつけ、時になだめすかしながら、揉め事をおさめて家賃を取り立てる差配人という仕事。いい子に弱いというのは、純情さとか衰えとかではない。今目の前にいる綺麗なものを信じさせてくれ、という富勘さんの心の悲鳴なのだ。
神隠しの松吉が戻り、丸助の魚屋に「三両」に関するすごいことが起こり、「閻魔の丁」の仙太郎は・・・。「子どものホラ話」の裏にあったものに、誰もがたじろぐだろう。
ラストも印象に残る。北一が夕方長屋に戻ってくると、近所の娘が声を掛けてきた。彼が手売りしている文庫には季節の花の絵が貼られており、その子は「あたしがもうちょっと大きくなったら」と言う。読者の頭に浮かぶ、若い女の子の言葉の続きとしては、「ひとつ買いたいな」とか「私の好きなお花の柄で箱を作って」であろう。しかし娘が言ったのは―。
複雑な物語のおしまいに、とくに活躍シーンのない背景のような少女の、生きていく揺るぎない力を見せる。宮部作品のすごさはここにあると思う。
新シリーズ『きたきた捕物帖』の主人公は、急死した千吉親分の子分の中でも下の下の下にいた北一。十六歳になるこの少年は、亡き親分のおかみさんのところに出入りしながら、文庫(厚紙製の箱。本のほかに、身の回りのちょっとした物を入れる)売りをして暮らしている。おかみさんは目が見えないが、耳と鼻が利き、記憶力がいい。おススメは二話目の「双六神隠し」。
長屋の中でもとくに貧乏な子だくさん一家の長男で十一歳になる松吉が行方不明になった。昨日一緒にいたという笹川屋の長男・仙太郎は、「へんな双六を拾い、三人で遊んだ」と語った。消えた松吉と、事件後ただ泣くばかりの魚屋の丸助、そして裕福なお店の跡取りであるこの子は、境遇はずいぶん違うけど同い年の仲良しだったのだ。
ふつうの双六に見えたが、駒が止まる要所の文字が、腫れ物、大熱、目病みなど嫌なことばかり。大きな額も書いてあったが、これはその金額を損するということなのか。大泣きの丸助の駒は「金三両」で止まったという。消えた松吉は「神隠し」。自分は「閻魔の丁」だった、と仙太郎は言った。これは死の意味か。いっぺん遊んだきりで、今はどこかに失せてしまったあれは、呪いの双六なのか・・・。
事件は見るからに利発で、礼儀正しい仙太郎の筋書きだと北一は考えた。松吉は貧しい家の稼ぎ手としての将来が嫌になって家出し、同情した仙太郎が後付けの話を考えた。丸助は「双六のせいだ」と泣き騒ぐだけで、込み入った話をしたのは仙太郎ひとりだったから。
しかし世間知のかたまりみたいな差配人(長屋の管理人的な人)の富勘が、こんなホラ話を信じている。北一の報告を受けたおかみさんは、「富勘さんはいい子に弱いと親分に聞いたことがある」と言った。
ここでの北一の返事の予想として、読者の頭には「手練れの富勘さんにも純なところがあるんですね」とか「そろそろトシで焼きが回ったのかなあ」ぐらいが浮かぶだろう。しかし北一は言うのだ。「出来の悪い大人を山ほど見ているからですかね?」
懸命に働く者もいるけれど、怠けたり酒に溺れたり暴力を振るったりする者たちがいる長屋で、時に意見し、時に叱りつけ、時になだめすかしながら、揉め事をおさめて家賃を取り立てる差配人という仕事。いい子に弱いというのは、純情さとか衰えとかではない。今目の前にいる綺麗なものを信じさせてくれ、という富勘さんの心の悲鳴なのだ。
神隠しの松吉が戻り、丸助の魚屋に「三両」に関するすごいことが起こり、「閻魔の丁」の仙太郎は・・・。「子どものホラ話」の裏にあったものに、誰もがたじろぐだろう。
ラストも印象に残る。北一が夕方長屋に戻ってくると、近所の娘が声を掛けてきた。彼が手売りしている文庫には季節の花の絵が貼られており、その子は「あたしがもうちょっと大きくなったら」と言う。読者の頭に浮かぶ、若い女の子の言葉の続きとしては、「ひとつ買いたいな」とか「私の好きなお花の柄で箱を作って」であろう。しかし娘が言ったのは―。
複雑な物語のおしまいに、とくに活躍シーンのない背景のような少女の、生きていく揺るぎない力を見せる。宮部作品のすごさはここにあると思う。