【第79回】間室道子の本棚 『ただの眠りを』ローレンス・オズボーン/早川書房

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『ただの眠りを』
ローレンス・オズボーン/早川書房
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作者が亡くなったあと、権利を管理している財団の許しを得て―つまりパロディ、オマージュではなく堂々と「あの作品の続編」あるいは「シリーズ最新作」として世に出るものがある。

本書はレイモンド・チャンドラー亡き後、彼が誕生させた「私立探偵フィリップ・マーロウもの」としてオフィシャルに出た四作目。ほかの三作が探偵の心身の状態をオリジナルとほぼ変えずに来たのに対して、今回マーロウは72歳になっている。

引退後のメキシコ暮らし。杖がなくては足もとがおぼつかなくなってるし、弱った食道が気になりギムレットのグラスをカウンターに置いたままにしたりする。

そんなよぼよぼマーロウのところにアメリカの保険会社の人間がやってきて、溺死した不動産会社社長の件を調べてほしいと依頼する。あなたはメキシコにいるし、スペイン語を流暢に話すし、なにより”めだたない”。

これは引退したサメに「あなたの海でのご活躍はもう峠を越えたでしょうから」と言ってるようなものだが、リタイア生活を少しも楽しんでないマーロウは仕事を引き受ける。

おかしなことはいくつもあった。溺死体のあまりにもすみやかなる火葬、未亡人となった妻がすぐさま夫名義の会社をたたんだこと、そしてこの夫婦の年齢差。死んだ夫は71歳、妻は30歳そこそこだ。マーロウは美貌の妻を調べ始めるが・・・。

なにを持って「ヒーローの帰還」とするかは、チャンドラーが書いていたマーロウ作品をどう読んでいたかによると思う。腕っぷしと女たちへのアプローチを楽しんでいた人には、本作に登場するマーロウの弱りっぷりはショックかもしれない。警察関係者や権力者たちとの丁々発止のやりとりを待っていた向きにも、マーロウ72歳は「舌鋒鋭し」とは言えないだろう。

でも、誰かへの口撃ではない、内省的な自己分析や彼独特の世界の見方を示す名せりふは健在だ。

「仕事はいつもその場で決めてきた。悪い習慣だ。それでも長い習慣だ」 「詐欺師は髪がふさふさなのが一番なのだそうだ」

「誰かきれいな人を相手に静かにワルツを踊りたかった」

ユーモアと悲哀をにじませる孤独な名調子をご期待の皆さまにはお楽しみいただけると思う。

依頼人に報告は済ませた。これ以上事件に打つ手なし。でも最後にマーロウが犯人のストーカーみたいになっていくのがすごい。暴力と快楽、聖と俗が交わる雨の謝肉祭に身を投げ出していくシーンは圧巻。

「美しい詐欺師はふたつの要素が合体して出来上がる。(略) ただ単に美しいだけでも、ただ単に不正直なだけでもなくなる。そういう者の中には常にわれわれを生き返らせてくれる者がいる」

音と色と光の洪水、祭りの夢の中で、マーロウが感じたのはやがて来る死か、今この瞬間の生か。ラストシーンのしみじみ度も胸を打つ。

 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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