【第78回】間室道子の本棚 『奈落』古市憲寿 /新潮社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『奈落』
古市憲寿/新潮社
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主人公・香織の幼い頃からの目標は、ダサい実家と家族のもとを抜け出すことだった。彼女には音楽の才能があり、高校前にデビューが決まってとっとと上京。CD発売、オリコン一位、有名音楽番組出演。新築の恵比寿のタワマン32階での一人暮らし。

だけどデビュー3年目のライブで彼女はステージから落ち、目がさめたら全身麻痺になっていた。

意識はあるけど声が出ず、体の中で唯一動かせるのは眼球を上下にだけ。そしてそれすらも自由自在にとはいかないので、この状態になった人に医療側からアプローチされる「YESなら目を上に2回上げて」や「まばたきをして」にうまく答えることができない。

藪っぽい老医者は認識も思考も停止していると診断した。こうして香織は21歳で忌み嫌っていた実家に戻ることになり、軽蔑しまくっていた姉、母、父の世話になるのであった。なんたる屈辱。

動けないだけで頭の中は以前と変わらない彼女に、皆は見えてない聞こえてない感じても考えてもいないと思って、好き勝手なことをするのである。なんたる地獄。

お父さんはアウト。彼が娘にしていることはサイテー。しかし姉と母は不仲の恨みをぶつけることなく(姉はたまにするけど)、異様な高揚感でこの子の役に立ってやろうとする。「クリエイティブ・スーパーバイザー」として奮闘する姉。昔は齟齬があったけど今こそ通じ合える、と愛情を注ぐ母親。このズレっぷりがすごい。

怖い・暗い・胸くそ悪い、という三拍子そろった作品なのだが、面白く読めるのは、主人公がなかなかの性格であるところ。私の考えでは、テレビに出ている古市憲寿さんに似ている。
「金遣いは荒いくせに保守的な人々。彼らは最も資産を残せない」
「概して整形にはまる人というのは、首から下に無頓着である。夜の銀座みたいな顔を目指すにもかかわらず、首から下は埼玉のイオンモールでいいという感覚がいまいちわからない」
「国内映画産業の市場規模は約2200億円だという。ヨーグルトや納豆の市場規模よりも小さい」

香織は心の中で毒舌を吐きまくる。しかも「動けない私からのせめてもの一太刀」という悲壮感はなく、「ほんとうのことを言ってなにが悪いんですかあ」的なテレビの古市さんのトーンが漂っていて、物語のえぐ味のアク取りができていると思う。

だが、時がたつにつれ香織には自信がなくなっていく。会話のできない十数年は思い出を摩耗させる。「誰にもたしかめる術のない一人ぼっちの記憶は、妄想と何一つ変わらない」という叫びが刺さる。

だから、この小説はP187まであるんだけど、P181の3行目までが現実で、あとは妄想なのだ、と考えると非常にしっくりくる。

各章につけられた数字は「意識が戻ってから何日目か」を表し、香織の目線で書かれたところにはこの数が、その他の人の部分には*がついている。物語は6139、つまり17年目のある日から始まり、その次に覚醒初日の1が来る。その後9,13、32、33、76、171…と進み、ラストの6552まで来たあと、主人公の独白が続いているのに、ナンバリングが消える。

これは絶望?それとも救済?


 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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