【第76回】間室道子の本棚 『あたしたち、海へ』 井上荒野/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『あたしたち、海へ』
井上荒野/新潮社
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「いじめを描いた小説」という文言は、以前はあらすじに入れられていたし、帯に「いじめがテーマの問題作!」なんて載ってることもあった。今は、ほぼない。その一言を見たとたん、多くの人の心にかかるブレーキ・・・暗そう、辛そう、そんな話わざわざ読みたくない、という思いを避けたいのだろう。そして、かつて書かれていた激しい暴力や金銭の要求、被害者の壮絶な復讐劇などは、こんにちの作品には出てこない。
本書の舞台は私立のお嬢様中学で、クラスのリーダーである女子と、彼女およびその取り巻きの標的にされる三人の女の子、親たち、担任の先生が出て来てくる。さまざまな行為や見て見ぬふりの裏にあるものがていねいに描かれていて、新鮮だった。
たとえば首謀者の女の子の家には、文句と嫌味にまみれた人物がいた。相手をばかにし、なにをしてあげても憮然としている。というわけで、この子にとって人間関係とは力関係。見下されたくなければ最初から強い立場を示し、相手をやっつければいい。彼女はわが家で学んだそれを、学校で実行しているのだ。もちろん、ちょっとのことで地位が逆転する危険もあるとわかっている。だから、毎日が高笑いの女王ではない。彼女は自分を、戦士だと思っているのである。
「無関心な先生」が「問題ある人物」になりがちだが、女性教師はかつては楽しげだった三人の関係が壊され、それは首謀者が何かしたんだ、とうすうす気づいていた。しかし業務に追い立てられる日々の中、「クラス全体」はうまくいっていたし、ほんとうによかったのかと自問自答することはあっても、彼女にとっては革命に匹敵するような行動を起こす時間も力もなかった。そして自分は今、婚活をしている。「そんなの関係ないじゃん、立ち上がるのが先生だろう!」と怒る人も多いかと思うが、リーダーを問いただし、そうすることで「チクった」と立場が悪くなる者を出現させ、私生活では結婚の機会を放り出すのが彼女のすべきことなのか?
ターゲットになった三人の父親の一人は、娘が無表情になったと思うが声はかけない。会社を辞めた後、妻とうまくいかなくなっているし、浮気もしているからだ。
物語には他にもそれぞれの事情が描かれ、だからといって、いじめを公認、放置も仕方ないねと思えるわけもなく、読み手は途方にくれるだろう。首謀者の家の文句たれをなんとかしろとか、浮気がダメとかいうのもとんちんかんだし。作品に、「わかりやすい悪者」が用意されていないのだ。
これが著者・井上荒野さんの書きたかったことなんじゃないかと思う。だって「責め甲斐のある人物を作り、こいつのせいだ、これがいなくなればハッピーだと全員が思うようにする」なんて構造は、いじめと同じだもの。
ラストページまでたどり着き、荒野さんの物語の救い方にすごく心を打たれた。読み終わって、本のタイトルを、意味するものを、噛みしめた。