【第74回】間室道子の本棚 『この世の春』 宮部みゆき/新潮文庫

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『この世の春』
宮部みゆき/新潮文庫
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宮部みゆきさんの江戸ミステリ。舞台は北関東の北見藩。青雲のような志で人々のために尽くそうとしていた若く美しい殿様が「重い病気のため」隠居となったことから物語は始まる。実はこれ、いわゆるクーデターで、殿は押込(おしこめ)=座敷牢行き。武士でもないのに格別に取り立てられ、殿のお気に入りだった伊東という男も切腹とされた。

驚くのは権力争いではなく、押込計画は藩の家老たち一致で行われ、新しい藩主には殿の親戚筋で有能な方がついた。つまり、若き殿はそれだけおかしなことになっていたのである。彼になにが?藩士の娘で殿のお世話をすることになった多紀、彼女を慕う従弟の半十郎、顔に火傷の跡がある下働きの少女お鈴、殿の幼少時代を知る隠居家老の石野、失脚した伊東の正体などがからみ、大長編はどんどん加速していく。

殿に起きていたのは、ミステリー界で一時大ブームになり「犯人の奥底」としてさんざんこすり倒されてきたあれ。でもさすが宮部みゆき先生、描き方に工夫がある。それは殿に寄り添う青年医者・白田の存在だ。

殿に起きた「あれ」は、どのくらい昔からあったんだろう?とにかく、江戸の人が目の当たりにしたら「死霊」とか「呪い」と解釈されても仕方がないだろう。

長崎でオランダ医学を学んだ白田は、人とは身体である、とまず教えられる。身体であるからこそ人は病む。取り除くすべが正しく行使されれば病は治る。これを叩きこまれ、学べば学ぶほど、白田は疑問に思う。
「ならば人の魂、心とは何か」

ある方向を突き詰めようとするほど、その反対側にあるものが気になってくる。これはすごく「あるある」で、白田の戸惑いに共感できる人は多いと思う。師である蘭方医と若き彼の問答が読みどころ。やがて白田は殿様に起きていることを、ご自身の人生そのものに苦しんでいることが原因では、と解析していく。その底にあるのは「恥」と「恐怖」・・・。

多紀の、病める殿への忠誠と愛、そして他の誰でもなく多紀だけが持ち得ていたもの。自分のしてきたことは正しかったのかと振り返る元家老・石野の苦悩。これらのあたたかだったり濃厚だったりする「心」の部分に、白田の冷静な「目」が加えられ、物語は厚みを増す。

今物語の中心に据えると「ああ、あれね」で済ませられそうなXXXX(伏字でございます)だけど、書き手が人間の肉体、精神、その生死、回復をどう考えているか、丁寧に明かしていくことで今までにない読み味の作品に仕上げる。これぞ宮部マジック!
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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