【第72回】間室道子の本棚『僕の人生には事件が起きない』岩井勇気/新潮社
「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
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『僕の人生には事件が起きない』
岩井勇気/新潮社
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お笑いコンビ「ハライチ」の岩井勇気さんのエッセイ。冒頭に、「ネタやツイッター以外の文章など全く書いたことがない、小説やコラム、エッセイの類もまるで読んだことがない」とあるけど、とても面白かった。
まず、文章がすっきりしている。先日読んだある本に、料理について、「最近はうまみだのコクだのがもてはやされているけど、上等なものは、澄んでいる」とあったのを思い出した。
どや顔をしてないのもいい。エッセイは考えをストレートに書いていくので、「これはキマったな」という箇所に書き手の得意げな顔が透けてみえることがある。でも本書では、「家に住む、それは何かの死と隣り合わせだ」「生まれた時から勝ちが確約されているのに、自ら道を踏み外して奈落に落ちていく人間というのがまさに”クズ”だと思う」などハッとさせられる言葉が出てくるのに、ここを無表情で書いてるんだろうな、というのがわかる。
そしてタイトルどおり彼の人生には事件が起きないのだが、これがすごく不思議なことになっている。
交通事故は、撥ねた側にとっても撥ねられた側にとっても交通事故である。殺人事件は殺した側にも殺された側にも殺人事件だ。しかし岩井さんにおいては、相手にとっては事件なのに彼にとってはそうではない、という状態になる。
たとえば「空虚な誕生日パーティ会場に”魚雷”を落とす」では、知り合いの女の子から私の誕生日のカウントダウンパーティに来て、というお誘いメールが来る。知っているといっても最後に連絡を取ったのは何年も前だし遊んだこともない彼女は、なぜ僕にこんなメールを寄越したのかと考えたうえで、岩井さんはあるプレゼントを持って行くことにする。「その場は謎の重たい空気に包まれるだろう」とあり、そのとおりのことが起きる。
というわけで女の子にとっては大事件、大惨事なのだが岩井さんには「だろうな」なのだ。親戚の葬式で、おしゃべりなタクシー運転手の車内で、同じようなことが起き、相手はぎこちなさと恐怖のどん底に落ちる。岩井さんは満足も勝ち誇りもなく、たんたんとそれを綴る。
彼は決して自分からなにかを仕掛けない。ただ「受けて立つ」のだ。
唯一「だろうな」にならないのが相方の澤部さんである。芸人さんは「相方の連絡先も知らない」「舞台以外では口も聞かない」というコンビになるか、「移動時の席は隣同士」「プライベートでも家族ぐるみ」という仲の良さになるか、両極端らしいけど、幼稚園からの幼馴染である澤部さんへの岩井さんの「近しさ」は、仲良しというより「観察」である。最後の「澤部と僕と」では相方について、冷徹といっていいほどの分析がなされる。
相方大好き芸人さんたちには相手を知り尽くしている自負があり、今さら「こいつはほんとうはどんな奴なんだろう」と考えながら接することはないと思う。「ハライチ」結成十四年、つきあいは二十数年になるのに、岩井さんは澤部さんにいまだに興味があり、その原動力は相方の深部、暗部を暴露したいというダークな情熱。「テレビ見てま~す、応援してま~す」などの手ぬるい澤部の好きがり方では僕は許さない、という思いがすごい。
この本がなにかの賞を取ればいいと思う。