【第66回】間室道子の本棚 『海苔と卵と朝めし 向田邦子食いしん坊エッセイ傑作選』 向田邦子/河出書房新社

「元祖カリスマ書店員」として知られ、雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする、代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ・間室道子。
本連載では、当店きっての人気コンシェルジュである彼女の、頭の中にある"本棚"を覗きます。
本人のコメントと共にお楽しみください。
 
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『海苔と卵と朝めし 向田邦子食いしん坊エッセイ傑作選』
向田邦子/河出書房新社
 
 
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「私はグルメ」と言うタレントさんや一般人は増えたが「私は食いしん坊」と言う人は減った。いやしん坊のイメージがあるからだろう。

だが「食いしん坊」にはやんちゃや茶目っ気もある。本書は向田邦子さんの本領発揮の傑作選。有名ドラマの脚本家であり、作家デビューをすれば直木賞を受賞。飛行機事故で亡くなって40年近くたつが、とりわけエッセイの人気は衰えない。女の生き方や家族についても評判だけれど、向田さんとくればなんといってもおいしいもの。女、旅、仕事、家族、何を書いていてもふと、味の話が顔を出す。これぞ食いしん坊。

P98の「最後の晩餐に何を食べたいと思っているか」がすごい。「煎茶に小梅で口をサッパリさせる」から始まるドトウの一品たち。ごちそうさまをしても、あれも食べたい、これも食べたいと冷蔵庫の中を思い浮かべる様子には思わず笑ってしまった。

さらに、飛行機から見下ろしたアマゾン河を「おみおつけの色」と表現する。亡き父親の三十五日の法要の精進落としで出た鰻重のフタをとりながら、そっと周囲と自分のかば焼きの大きさを比べる。食い意地が張ってるというより気取りなし。食いしん坊は生活に密着した欲望なのだ。

また、グルメな著名人たちはしばしば「死ぬまでにあと何食食えるのかを考える」と言い、一食一食をスケジューリングし、「変なものを食べたらこのあとのあの店が台無しに!」と発言する。本書には食いしん坊の向田さんの、あまりもの、ありあわせの豊かさがある。作り方は短いもので二行、長くても数行で紹介され、料理の手際の良さが文章のリズムからわかる。熱された鍋、投げ込まれる若布(わかめ)、ものすごい音と油の跳ね、果敢に回される菜箸、たちまち翡翠色に変わる鍋の中、投入されるかつお節と醤油。
こんな、ちゃっちゃっ、ぱっぱっで出されるものはさぞうまかろうと伝わってくるのである。

いろんな「実名登場」もお楽しみの一つで、P129に「悠木千帆さん」が出て来る。これが誰のことかわかる人は現在少ないだろう。でも「実はこの人ですよ」と言えば、今日本中の誰もが知ってる女優の昔の芸名だ。この文章内に注釈を入れなかった編集者に拍手したい。今はなんでも「読者ファースト」の時代だけど、わかる人だけが宝物のようにわかることがあったっていいのだ、という潔さ。向田さん気質をアッパレ受け継いだ編集さんだと思う。

本書に描かれているのは、味や一皿を超えた、あの時代の空気なのだ。 (「悠木千帆」については、最後に掲載されている小説「蛍の光」のラストページをごらんあれ。)
 
 
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代官山 蔦屋書店 文学担当コンシェルジュ
間 室  道 子
 
【プロフィール】
雑誌やTVなどさまざまなメディアで本をおススメする「元祖カリスマ書店員」。雑誌『婦人画報』、『Precious』、朝日新聞デジタル「ほんやのほん」などに連載を持つ。書評家としても活動中で、文庫解説に『タイニーストーリーズ』(山田詠美/文春文庫)、『母性』(湊かなえ/新潮文庫)、『蛇行する月』(桜木紫乃/双葉文庫)、『スタフ staph』(道尾秀介/文春文庫)などがある。

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